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手に入れる条件


柔らかい陽射し、耳に心地いい鳥の声。
することもなく部屋にいれば、それらが自然に眠りを誘ってくるもので、脇息に凭れた姿勢のままうつらうつらと微睡始めてしまっただが、ふと感じた気配に目を開ければそこには悪戯を企んだ子供のような笑顔があった。
否、実際子供なのだから当然か。
寝ぼけた頭では状況の把握が遅くても無理はない。
ぱちぱちと目を瞬けば、目の前の少年が嬉しそうに微笑んだ。

「おはよう、姫君」
「……おはよう」
「寝ぼけた姫君も可愛いね」

どうしてここにと問いかけようとして、御簾の向こうで慌てふためく敦盛の姿が見えた。
敦盛がヒノエをここへ連れてきたのかと一瞬考えたが、彼の慌てぶりを見るとどうやらそうでもないらしい。
先ほどから何とかヒノエを御簾から引っ張り出そうと衣服を引っ張っている姿がなんとも可愛くて、はくすりと笑った。

「敦盛さん、大丈夫よ。ありがとう」
「すまない、殿。私がついていながら…」
「恋する男を止めようなんて無粋なこと、するだけ無駄ってもんだろう」
「ヒノエ君は相変わらず口が上手だね」

おいでと手招きをすれば一瞬躊躇いながらも御簾内に入ってくる。
それでも少し距離を置いて座る姿は、何度見ても可愛い。
これで女の子じゃないのだから世の中不思議だ。

「それで、ヒノエ君はどうしてここに来たの?」
「あぁ。平家の主だった公達は今熊野大社にいるだろ。邪魔者がいないうちに姫君に会いに来ようと思ってさ。敦盛に案内を頼んだんだ」
「どうして?」
「姫君は清盛たちに溺愛されているって聞いてたからさ。俺が会いに来ても素直に会わせてもらえないだろ」
「…なるほど」

いくら何でもそれはないだろうと反論できない自分が悲しい。
清盛や知盛はを他人に見せようとしない。
がこちらの世界に来てから平家以外の人間と会ったのは、将臣と弁慶くらいだ。
こちらの世界の女性は屋敷から出ないと聞いたことがあるから特に不思議に思っていなかったが、もしかしたら違うのだろうか。
だが、その疑問よりもヒノエの発言に気になることがあった。

「ヒノエ君は水軍の人なの?」
「どうしてそう思うんだい?」
「義父上が大社にいるのは気付くだろうけど、全員いるって知ってるのは大社に行かないと分からないもの。熊野別当は熊野水軍の頭領だし、ヒノエ君はもしかしたら別当に近い身分なんじゃないかなと思って」

市を見て回って、ヒノエが一般の民でないことはわかった。
大人びた口調といい油断のならない眼差しといい、とても平民には見えない。
それに敦盛が同行していることも理由の一つ。
元服前の少年とは言え、敦盛も平家一門だ。
武芸が得意という話も聞いたことがないが、経盛の息子なのだからそれなりの武芸は教えられているだろう。
女性の――しかも眠っているの部屋へ見知らぬ男を易々と入室させるほど不甲斐ない男ではないはずだ。
親しそうな様子から友人なのだろうと思い、敦盛の交友関係ならばそれなりの身分のある良家の子息であるはずだと読んだまでなのだが、どうやらそれは外れていなかったらしい。

「姫君は鋭いね」

参ったというように肩をすくめたヒノエに、自分の推測が正しかったのだと知る。

「姫君の言う通り、俺は熊野水軍の人間さ。清盛達が大社にいるのも直接見たから知ってたんだ」
殿。ヒノエは熊野別当の息子なんだ」
「あぁ、だから」

別にヒノエがどこの誰でも気にならないが、何もかも隠されたままでは面白くないのも事実。
別当の息子なら清盛達が大社にいることも知っていて当然。
敦盛との仲の良さも頷ける。

「それで、今日は本当に私に会うためだけに来たの?」
「そりゃそうさ。何せ俺の花嫁になる女性だからね」
「ヒ、ヒノエッ!」
「何だよ。嘘は言ってないぜ」

慌てる敦盛と堂々としたヒノエ。
確かに嘘を言っているようには見えない。
だがは何も聞いていないわけで。
の目がすう、と細まった。

「説明、してくれるかな」





   ◇◆◇   ◇◆◇





つまり、こういうわけだ。
久しぶりの清盛との対面。
この戦乱の最中、しかも宮中で最も忙しい暮れの時期にわざわざ一門でやってきたことが熊野別当の警戒を強くさせた。
表向きはただの熊野詣。
だがそれを素直に信じるわけにはいかない。
清盛は曲者だし、熊野別当もまた然り。
腹の探り合いのような会話の中、ふとこぼれた愛娘の話題。
友好の証に姫君を熊野へと言い出したのは誰だったのか。
一瞬で態度を硬化させたのは、やはりと言うか知盛・重衡兄弟で。
清盛はからからと笑ってその話を承諾した。

ただし、条件つきで。

「知盛・教経よりも武芸に秀で、忠度よりも歌才があり、経正よりも楽が上手で、惟盛よりも舞の名手。そして最低限重衡程の人格者でなければを嫁がせること叶わぬ。勿論容貌はに釣り合う男でなければ認めぬ。何よりもを愛し幸せにできるだけの男であること」

「……なにそれ」
「だから、清盛が出した条件。つまりは平家一門の誰よりも優れた男でなければ姫君を嫁にもらえないってことさ」
「義父上ってば…」

はっきり言ってそんな人間いるはずがない。
宮中のことは知らないが、平家一門は美形揃い。皆揃って優秀だ。
知盛や教経は武人として比類なき人物だし、忠度も宮中一の歌人として有名だ。
惟盛は光源氏の再来と言われるほどの美形だし、舞の腕も一流。
しかも最低限というレベルが重衡ではハードルが高すぎる。
これで条件に合う人物がいたら見て見たい。
おそらくこれはを嫁がせないための方便なのだろうが、それにしても条件が厳しすぎる。
尤もそう簡単に条件に叶う男が現れてもとしては困るのだが。

「本当に姫君は愛されてるね」
「そうかも。義父上に感謝かな。やっぱり政略結婚で嫁ぐのは寂しいもの」

政略結婚で幸せになった夫婦はいるが、そう多いわけではない。
不幸になった例なら数知れず。
一番身近な例は建礼門院徳子だろう。
清盛の娘であり、形式上はの義姉。
彼女の一生は平家物語を読めば一目瞭然。
女性としては最高位まで上りつめた人物だろうが、その人生は幸福とは言えないものだ。
養子とは言え客分扱いのが、政治の駒として使われることはないだろうが、それでも可能性がゼロのわけではない。
どうしても嫁がなければならないのなら平家のために覚悟はできているが、できればそうならないほうが有難い。

俯いてため息をつけば、ヒノエがそっと手を取った。

「ヒノエ君?」
「俺は姫君を不幸になんてさせないよ?」
「ヒノエ!」
「俺の花嫁になったら、姫君は世界で一番幸せな花嫁になれるぜ。約束する」

そっと掌に口付け。随分慣れた仕草だ。
言われた内容にも驚くけれど、年齢に合わない女性を口説き慣れた態度にもっと驚いた。
熊野の男は手が早いから心配なんです、と言ったのは重衡。
成る程、確かにその言葉に嘘はなかった。
は困ったように背後を振り返った。
そこには笑顔の義兄。勿論その瞳は笑っていない。

「求婚されちゃった」
「…そのようですね」
「重衡殿、いつの間に…」
「悪い予感がするから戻ってきてみればこういうことですか。まったく油断も隙もない」

言うなり重衡はの身体を背後から抱き寄せる。
バランスを崩したを胸に抱きとめ、重衡は幼い従弟の友人に宣戦布告をする。

「まずは、元服してからにしてもらいましょうか。無位の男に大事な大事な妹を差し上げるわけには行きませんからね」
「ほう、元服したら姫君に求婚してもいいんだ」
「ええ、勿論。私のはこのようにとても愛らしい女性ですからね。ヒノエのように心を奪われる男も非常に多いのですよ。ですから、元服したら本気で相手をして差し上げましょう。生命が惜しくなければ、どうぞ正式に求婚してください。全力を持って叩き潰して差し上げましょう」
「あの〜」
「大丈夫ですよ、。意に添わぬ結婚など、この私が許しませんから」
「…はぁ」

それよりも離してほしいとはとても言えなかった。
目の前で睨みあう2人。
その横で事態の展開についていけず呆然としている敦盛と目が合った。
にとっては日常なのだが、敦盛にとっては初めてみる従兄の変貌だろう。
ここに知盛がいなかっただけよかったと、そう思うしかなかった。


  • 08.05.12