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彼の求めるもの


すぐ近くで人の気配。
振り返れば視界に入る赤い色彩。
幼さの残る少年を前には首を傾げる。
よりも2つ3つ年下だろうか、敦盛とはまた違う可愛らしさに、最初の驚きとは別の意味で目を見開いた。
敦盛はその繊細な性格も含めて、まるで深窓の姫君のような可憐さを持っている。
だが、目の前の少年は少々違った。
確かに顔立ちは敦盛に負けず劣らず整っている。
おそらく性格の差なのだろう。
はしばみ色の瞳に宿る強い光が、少女のように可愛らしい容貌を凛々しく見せている。
外見の幼さと眼力の鋭さ。
不思議な少年だというのがの第一印象だった。
どちらにしろ可愛らしいことに変わりはないのだが。

「やあ」
「こんにちは」

向けられた笑顔ににっこりと笑い返せば、はしばみ色の瞳が嬉しそうに輝いた。
敦盛に会ってから気付いたことだが、どうやらは無類の可愛いもの好きらしい。
ましてや、目の前にいるのは自分よりも目線の低い、年下の少年。
勝ち気さ一杯の笑顔に思わず抱きしめたい衝動に駆られるが、相手が敦盛ならまだしも、初対面の相手にそれをやるのは問題があるだろうとぐっと堪える。

「どうだい、熊野はいい場所だろう」
「うん。京と違ってとっても活気があるから見ているだけでも楽しいよ」
「そりゃ当然。何せ熊野は大陸とも交易があるからね。内陸の京にはないものも沢山あるんだ」

無邪気な笑顔。本当に熊野を好きなのだということが一目でわかる。
常日頃重衡や惟盛から、怪しい男には声をかけられても無視しろと言われているが、この少年はにとって警戒の対象外確実なわけで。
この場に重衡がいたら眉を顰めるであろう柔らかい微笑を惜しげもなく少年に向けている。

「それにしても随分と買い物したんだね。重いだろう。貸しなよ、俺が持ってやるからさ」
「持てない量でも大変な重さでもないから大丈夫よ。ありがとう」
「じゃあ、宿まで送るよ。いいところのお姫さんが供も連れずに1人で歩いちゃ危険だよ」
「すぐ近くだからそれも大丈夫。君も早く家に帰りなさい。お母さんが心配するよ」

幼いながらも紳士的な態度が嬉しくて、優しく頭を撫でてそう言えば、目の前の顔が明らかに歪んだ。

「…俺は確かに姫君よりも年下かもしれないけど、そういう扱いは気に入らないな」

どうやら目の前の少年は敦盛ほど素直ではないらしい。
不満そうにそう言いながらも無理やりの腕を振り払わないのは、に悪気がないことがわかっているからなのだろうか。

「年下でも、俺は男なんだよ、姫君。油断していると痛い目を見るぜ」
「え?」

そう言うなり着物の袖を強く引かれ、バランスを崩したの頬に触れた柔らかいぬくもり。
耳元に響いた音に、何をされたのか瞬時に理解する。

「っ!?」

慌てて少年が触れた箇所を押さえて後ずされば、悪戯が成功したような少年の顔。
言葉もなく真っ赤になるに満足したのか、少年がにっこりと笑う。

「俺の名はヒノエ。覚えてくれよ、姫君」





   ◇◆◇   ◇◆◇





頬にキスをされたのは、初めてではない。
つい先日までは日常的に義兄にされていたが、それでも彼はあくまでも身内で。
当然初対面の相手にされたことなどなく、恋愛経験のほとんどないが動揺するのは無理のないことだった。
自分よりも目線の低い子供にされたのだから笑ってすませられればよいのだが、目の前の彼――ヒノエと名乗った少年の、可愛らしい見かけに騙されてはいけないような気がするのは気のせいではないだろう。

(だって、慣れてる…っ。絶対慣れてる!!)

どうにかして悲鳴は飲み込んだものの真っ赤になって慌てふためくに、子供扱いされたヒノエの溜飲はすっかり下がったらしい。

「だから痛い目見るって言ったろ?」
「だ…だって急にあんなことされたら誰だって驚くよ」
「俺だからこの程度で済んでるんだよ。他の男達に襲われたらそんなもんじゃすまないって分かってるのかい?」

す、と手を取られて手の甲に軽く口付けられる。
絶句して目を見開いたに、ヒノエと名乗った少年はやりたい放題だ。
固まったの手から荷物を取ると、その手を握ったまま慣れた仕草でを促す。

「え? ちょっ…、どこへ――」
「このまま熊野を案内してもいいんだけど、そろそろ心配してるんじゃないかと思ってさ。残念だけど機会はまだありそうだからね。今日は大人しく姫君の泊まってる宿へ送っていってやるよ」
「いいよいいよ、大丈夫。本当にすぐ近くだし、それにほら――」

す、と示された指の先。
人込みの中にかすかに見えるのは鮮やかな銀糸。
その隣に見える紫色の髪に、ヒノエは面白く無さそうに舌打ちをした。

「残念。もう少し一緒にいられると思ったのにさ」
「ごめんね。でも、ありがとう。またね」

ふてくされたように唇を尖らせるヒノエの頭をもう一度軽く撫でて、は迎えにきた2人の許へと走っていく。

おかしな姫だと思う。
供も連れずに一人で歩くこと自体、良家の姫としてありえないことだし、平民と気さくに話している姿も珍しかった。

「あれが、清盛溺愛の末姫ねぇ…」

平家の末姫の話は情報として聞かされていた。
身分の低い女が産んだ娘を清盛が引き取ったと。
比売神の如く美しく、それでいて誰にでも気さくに話しかけてくる珍しい姫だということは、京に潜んでいた烏が持ってくる情報で知ってはいた。
向かうところ敵なしの清盛。
その掌中の珠と称される姫。
清盛だけでなく知盛や重衡からも溺愛されているという件の姫君が熊野に来ると聞いて、一目見て見たいと思った。

おそらく黙っていても数日のうちには対面の機会があっただろう。
だが、ヒノエが見たかったのは烏が持ってきた情報のままのであって、着飾って御簾内で大人しくしている深窓の令嬢ではなかった。
だから屋敷を抜け出してここまでやってきたのだ。
もしかしたら彼女に会えるかもしれないと思って。
それが無理でも、宿に潜入すれば姿くらいは垣間見れるのではないかと、そう思って姫君が泊まっているという宿へ向かっていたのだが、ヒノエの希望は予想外にあっさりと叶ってしまった。

一目でそうとわかる高価な衣装。
袿を頭から被っていても、かすかな隙間から見える顔立ちには誰もが目を奪われて。
きらきらと目を輝かせて露店を眺めている姿に、誰もが目を奪われていた。
だけど本人だけがそれに気付いていなくて。
呆れると同時に面白かった。
噂通り姫君らしくない気さくな態度。
だけどそんな様子がとても可愛くて。
本当は遠くからこっそり見るだけのつもりだったのだけれど、気がつけば声をかけていた。

平家の末姫。光の姫君。
京で評判の美姫。
だけど、彼女の魅力はどうやらそれだけではないらしい。
くるくるとよく変わる表情。温かい笑顔。
彼女が持つ柔らかい雰囲気。

「なるほどね」

清盛のみならず知盛と重衡すら溺愛しているという少女。
その理由がわかったような気がした。


  • 08.03.24