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当日欠席は不可


梅の蕾がほころびはじめ、庭に春の気配がちらほらと感じられる季節。
まもなく新年である。
貴族達は春の除目に向けて仕事が増え、新中納言である知盛も三位中将である重衡も、宮中に詰めて帰れない日々が多くなっていた。
更には出家しても尚権勢を誇る清盛も宮中に詰めたまま家に帰れない日も少なくない。
だが、それとは反対に、は悠々自適の日々を過ごしていた。
何しろ過保護の兄2人を初めとして義父清盛も仕事漬けで、に会いにくる時間すらないらしく、いたって平和なのである。
時間の経過とともにに関する行動の規制がほんの少しだが緩くなり、護衛付きならば外出も許可されるようになった。
そのお陰でここ数日のの機嫌はすこぶる良い。
外出が許されたとは言え、せいぜい市を見物に行くのが関の山で、治安の悪い場所には相変わらず近づかせてもらえないのだが、この際贅沢は言っていられない。
部屋から一歩も出られないような状況を脱することができたのは、にとって大進歩なのである。
不満など言えるはずもない。

だが、そうして日々を楽しんでいたのはだけのようで、知らない間に清盛のストレスは極限まで高まっていた。
天皇の外戚として権威を振るう清盛は、宮中でもそれなりの権力を持っている。
勿論それは人事にも多少なりと影響できる類のもので、春の除目で少しでもいい役職に就きたいと思っている公達連中が、藁にもすがる思いで付け届けを送ってくるのも無理はない。
だが、周囲の想像に反して金品や賄賂に興味のない清盛である。
欲しくもない贈り物やら訪問の伺いやらと常に人に囲まれているため、ストレスはかなり蓄積されている。
しかも相手が美女ならまだしも、むさくるしい男ばかり。
いくら見目が麗しかろうと、男を見ていても楽しくない。
とどめとばかりに時子の部屋から達の楽しそうな笑い声が聞こえてくるものだから、清盛の不足は極限に達していた。
重衡からその話を聞いた時は気の毒に思ったは、どこかで爆発しなければいいけれどとひっそりと思った。



そして、の危惧は思いも寄らぬ形で的中するのである。





   ◇◆◇   ◇◆◇



「ええ、えぇ。確かに私は池に落ちて高熱を出しましたよ。しかも南都でも倒れて皆さんに多大なご心配とご迷惑をおかけしたことも確かです。義父上も重衡さんも知盛さんも面会謝絶にしました。だって仕方ないじゃない。こっちの世界じゃ医学はそれほど発達してないんだから、もし風邪が移ったら最悪命に関わるんだし。そりゃあちょっと冷たくしすぎたかなと思わなくもないけど、でもでも、別に意地悪したとか怒ってたとかそういうことじゃないもの!」

そうまくしたてるのは、当然のことながらだ。
本日、平家一門は大規模な家族旅行である。
あと数日で新年を迎えるというのに、一門揃って旅行とは非常識極まりない。
が、新年を迎えてしまえば行事ばかりで碌に家にも帰れなくなってしまうのだから、ここで取らなければいつ取るのだというのが清盛の弁である。
その通りではあるのだが、宮中は只今大混乱の真っ最中。
何しろ平家一門は主だった要職に就いており、仕事の判断を仰がなければいけない指示が大量に残っている。
知盛などは常日頃から部下任せのところがあるためそこまで混乱はしていないようだが、重衡や忠度、惟盛などの役所は相当困っているだろう。
更には清盛である。
帝の外戚として傍についているべきなのではないかと思うのだが、清盛に聞く耳はない。
帰宅後のことを考えれば頭痛がしてきそうなものなのに、同じ牛車にいる知盛も重衡も何故か上機嫌のまま。
何を言っても馬耳東風。
つまりは清盛と同じく聞く耳を持たない。

それなら諦めればいいのに、それが出来ないのがたる所以である。
往生際が悪いというか、正義感が強いと言うか。

牛車の中でというよりも重衡の腕の中で目が覚めたせいで、京を出てしばらくした平家一行から大きな悲鳴が聞こえたのは、今から一時ほど前のこと。
を驚かせようと思った極秘の旅行は大成功に終わったとは言っても、当のを怒らせてしまっては効果も半減なのだが、同じ牛車にいる知盛と重衡はいつもと変わらない態度のまま。
知盛は眠ってこそいないものの面白そうにを眺めていて、重衡は重衡で「怒るも可愛らしいですね」などと軽口を言いながら、いつもの笑顔でを見つめている。
しかも前日のうちに女房に用意させておいたらしく、唐櫃にはの着替えが入っており、何故か愛用の琴までちゃっかり牛車に乗せてあって、あまりの周到さに気付かなかった自分が情けなくなってくる。
何しろ牛車は意外と揺れるのだ。
しかも重衡に抱きかかえられて運ばれていたのに気付かなかったのは、年頃の少女として大きな問題があるのではないかと思う。

だが、今はそんなことよりもこの状況のほうが重要だ。
とにかく今更でもいいから思い直して欲しいと頑張っているが、やはりそれは徒労に終わって。
数回試して無理だと悟ると、今度は八つ当たりを始めたのだ。

車内の知盛や重衡ではなく、馬で併走する将臣に対して。





車内から聞こえてくるのはの不満そうな声と重衡の楽しそうな声。
そして知盛のやる気のなさそうな声。
将臣はゆっくりと馬に揺られながら車内の様子を想像して苦笑をもらす。
清盛に気に入られて平家の客人扱いになっている将臣は、持ち前の判断力と行動力で平家一門の信頼を集めるようになっていた。
ましてや『天照の神子』の幼馴染であるため、こちらでの生活に一切の不満はない。
望めばのように養子になることも可能だろう。
むしろ常日頃官位を授けるから息子になれと言われ続けているのだが、生憎将臣にその気はない。
元の世界に帰るつもりだということもあるが、自分が重衡のように平安時代の貴族然としていられるはずがないというのが最大の理由である。
だから最初は知盛の随身として付き従うことを選んだ。
やがて人手不足だということで様々な場所へ使いに出されるようになり、各地で得た知識と現代の知識を活用していくうちに、武術ではない功績を重ねるようになった。
元々あちこちへ旅行することは大好きだったし、知らない人と打ち解けるのも得意だったから、西国や各地の荘園の視察などを任され、ここ最近は屋敷にいないことも多く、数ヶ月ぶりに帰ってきた屋敷ではが着せ替え人形と化していて正直驚いたのだが。
の境遇に同情はするが、では代わってくれと言われても無理なのだからしょうがない。



「ねえ、聞いてるの。将臣君」
「あーはいはい。聞いてるって」
「じゃあ少しは返事してよ」
「だから、少しは清盛の好きにさせてやれよ。お前のこと相当心配してたのは確かなんだしさ。確かにあの読経には俺もどうかと思ったけど、それがこっちの常識だろ。俺らよりも病気に対する知識が少ないんだから仕方ねえって」
「そんなのわかってるけどっ」
「ならいいじゃねえか。少しは親孝行してやれよ」
「だから大人しくついてきたもん」
「…全然大人しくねえって」

まあ、の怒りも十分わかるのだが。
何せ出立を決めたのが前日の夜。
更には出発は夜も明けぬうちなのだから、当然のことながら清盛が帰宅した時にはすでに眠っていたがそれを知るはずもない。
起こしては可哀相だという理由で、眠るが起こされることもなく。
ぐっすりと眠ったが目を覚ましたのは牛車の中。
更には少しでも振動を少なくしようという配慮なのか、それとも単に趣味なのか、が目覚めたのは重衡の腕の中で。
二重の驚愕に声も出なかったは確かに気の毒だった。

だが、京を出てから随分経つというのに、も随分と諦めの悪いことだ。
一行が向かう先は、熊野。
最強を誇る熊野水軍の本拠地であり、の世界では世界遺産にも認定された古からの大社が建つ土地である。
歴史好きのが知れば上機嫌になりそうなものだが、もしかしたら知らされていないのかも知れない。
驚かせようという意図もあるのかもしれないが、将臣にしてみればこのまま熊野まで愚痴を聞かされ続けては溜まらない。
折角の美しい景色。
何が哀しくて幼馴染の宥め役に徹しなければいけないのか。

「あのよ、…」

熊野まであと少し。


  • 08.02.27