「あいたた…、着地失敗」
空を飛ぶというのは、水の中を泳ぐようなものだと思っていた。
根拠などまったくなかったそれ。
とんでもない勘違いだと気付いたのは、実際に体験したからに他ならない。
飛翔というよりは時空移動。
勿論自分でも鳥のように飛べるとか呑気なことを思っていたわけではないけれど。
身の内に溢れている神子としての力。
使い方はわかっていた。
それが神子としての資質なのかもしれないし、力を授けてくれた時に使い方も教えてくれていたのかもしれない。
の誤算は己の持つ力がどれほど強大かわからなかったことだ。
確かに飛ぶことは簡単だった。
勢いに任せて地面を蹴れば身体は簡単に空に舞い上がり。
慣れ親しんだ2人の気配を辿れば、目的地にはすぐに着けるはずだと、そう目論んで初めて力を行使したのだが、予想以上に溢れた力に戸惑うばかりの状態で、どうして場所の特定などできるだろうか。
凄い勢いで流れていく景色の中、見失いそうになった2人の気配をようやく掴んだまではよかった。
ただ制御のきかない力は、の思うように自分の身体を運んでくれなかったのだ。
何とか地面に叩きつけられるという事態は避けられたものの、現在地が木の上という状態は、が予想していた『華麗に着地』という展開とはほど遠いもので、少々情けない。
「まあ、いいか」
怪我がなかっただけもうけもの。
そう思い直して降りるべく足場を探そうと、己の足元に視線を落とし。
そこには――。
「……何をやっているんだ、お前は」
呆れきった顔の義兄がいた。
◇◆◇ ◇◆◇
驚いたかと問われれば、それなりにと答えるだろう。
動じない知盛ですら一瞬言葉を失った。
ここに重衡がいたらどうなっていただろうか。
京にいるはずの義妹が空から降ってきた。
彼女には前科があるとは言え、それはあまりにも唐突な降臨――いや、落下。
純白の衣は夜の闇の中でよく映え、の美しさが際立って見える。
宮中では『衣通姫』と噂されるだけの美貌。
確かに義兄の欲目ではなく、その言葉に間違いないと思う。
だが、知盛が言葉を失くしていたのは、の容姿に目を奪われてのことではなかった。
最後に見たのは、病の床についたの姿。
出立前はまだ熱が引かなかったために苦しそうな姿しか見ていなかったから、元気そうな姿に安堵はするものの、それでも戦場に現れたということは何を差し引いても歓迎できる事態ではなかった。
「何をやっているんだ、お前は」
呆れ半分非難半分で問いただせば、琥珀色の瞳が瞠られて。
闇夜の中でもその瞳の色が変化しているのを知盛は見逃さなかった。
面白くないと思いつつもそれに触れなかったのは、おそらく自身が気付いていないだろうと思ってのこと。
かすかに彷徨う視線は彼女が言い訳を考えている時によくする仕草で。
ややして諦めたように向けられた幼い表情。
「え……えへ」
思わず脱力してしまうのも無理はないだろう。
飛び降りてきた小柄な身体を受け止めて地面に下ろせば、その身体がふらりと大きくよろめいた。
体調が悪いのに無茶をするからだと咎めれば、まったく悪気のない返事で。
「不可抗力。ジェットコースターみたいだったんだもの」
「じぇっとこおすたあ、とは何だ?」
「私たちの世界の乗り物。馬よりもすっごく早いの。というわけで乗り物酔いなのです」
「…成る程」
そう言えば初めて馬に乗った敦盛が確か似たような状態になっていたなと思い出す。
いずれにしろ時間がたてば回復する程度のものならば問題ないが、それでも気になってしまうのは彼女が臥せっていた姿を知っているから。
我ながら随分と変わったものだと、内心苦笑する。
こんなに甲斐甲斐しい人間ではなかった。
こんなに、情が深い男ではなかったはずなのだが。
「どうして、来た」
「将臣くんから聞き出したの。それで」
「…止めるために、か?」
「止めるために、よ」
当然のように答える姿に、知盛の目がわずかに細められる。
「できるとでも言うつもりか」
「できるとかできないじゃなくて、しなくちゃいけないの」
強い眼差し。
一見従順に見える義妹だが、一度決めたことにはかなりの強情さを見せる。
それほど長くない付き合いでも十分すぎるほどわかってしまったそれ。
だからこそ目付け役として将臣を傍に置いてきたというのに。
存外使えない奴だと悪態をつきながら、小さな身体を見下ろす。
純白の衣装は何かの意思表示なのだろうか。
確かに彼女の美しさを際立たせているし、背を伸ばして立つ姿は威厳すら感じさせる。
だが、いくらが天照の神子だとは言え、清盛の決定を覆すだけの権力はない。
「お前が、戦を止めるのか」
「止めるのは戦じゃなくて…。――っ!」
の声を遮ったのは、突如上がった煙。
あちこちで広がっていく火の手。
野営の準備をしていた場所からだとわかれば、原因は明らかだ。
折からの強風が森に飛び移ったのだろう。
再三重衡が注意をするようにと告げていたというのに、それでも警戒が甘かったのだろうか。
「やっぱり…」
告げられた言葉から、が止めようとしていたのはこの火事だったのだと悟る。
戦になど出たことがない少女。
しかも直前まで高熱に浮かされて眠っていたはずだ。
清盛が慎重に慎重を重ねてにだけは気取らせなかった戦の事実。
将臣を問い詰めたと言っていたが、将臣ですら全てを知っているわけではない。
どうやって知りえたというのだろうか。
問いただすよりも先、が知盛の腕を引っ張った。
向けられた表情は真剣。
一切の口出しを許さない顔では告げた。
「まだ間に合う。消さなくちゃ」
- 08.02.04