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比売神としての使命


言われてから気配を辿ってみれば、周囲の空気は微妙が固い。
静かな邸内はいつもと変わらないけれど、それでもどこか緊張した雰囲気は漂ってくる。
のいる東の対でもわかるのだから、おそらく清盛の元は相当なものだろう。
が病床についていたのはおよそ1週間。
それ以前はまったくそんな気配を感じさせなかったから、おそらく戦況はこの数日の間に劇的に変化したのではないだろうか。
こちらの世界に来た当初から京の治安が悪いと言われてきた。
確かにのいた世界と比べたら日常的に追剥が出るし、大通りから一歩路地を外れれば死体が転がっていることも珍しくない。
それでも争いと言えば精々小競り合い程度の軽い喧嘩ぐらいで、日々はいつも穏やかに過ぎていた。
知らなかった。――いや、知ろうとしなかった。

京の外がどのような状況なのかを。





   ◇◆◇   ◇◆◇





「最近になって反平家の勢力が強くなってきていたんだ」

そう告げる将臣の声は厳しい。
南都制圧と言えば、歴史に詳しいが知らないはずはない。
それがわかっているから告げたくなかったのだが、今更どう言い繕おうとしても知ってしまったという事実は覆さない。
一瞬で憂いを帯びてしまった瞳。
微笑みの形をしている唇はかたく結ばれ。
何かに耐えるかのように固く握られた指先は、わずかだが震えている。
哀しむことがわかっていてどうしてに話せるだろうか。
自然と口が重くなる将臣だが、言葉を止めることは目の前の眼差しが許さなかった。
気が弱いくせに頑固。
そんな幼馴染の性格を知り尽くしているからこそ、将臣には言葉を止めることができない。

「重衡を総大将に知盛を副大将に据えて、昨日出立した。途中野営をすると言っていたから、戦が始まるのはおそらく明朝。清盛は本格的に南都を制圧するつもりだ」
「止めることは」

敵には容赦をしない清盛と言われているが、彼は意外と情に脆い一面がある。
幼子を殺すことを良しとせず、嫡男の頼朝を始め3人の側室の子をも流罪もしくは出家という形で殺さずにすませていた。
いくら清盛が平家の棟梁であっても、平氏の全員が戦を好む人間ばかりではない。
反対意見は出なかったのだろうかというの問いに、返ってきたのは否定で。

「清盛の怒りは相当なものだ。制止の声がなかったわけじゃないが、誰の声も聞く耳を持たない。忠度殿や、あの二位の尼ですら止められなかった」
「二位の尼でも…」

家族思いの清盛。特に時子や子供達に対しては並々ならぬ愛情を注いでおり、時子が哀しむことは決してしなかった。
その時子が止めても聞かないのだから、将臣の言う通り清盛の決意は固いのだろう。
果たしてが止められるだろうか。

だが…。

「それでも止めなきゃ…」

平家物語に書かれている重衡の哀しい最期。
彼は南都焼き討ちのせいで僧侶から深い恨みを抱かれ、頼朝の助命嘆願も受け入れられず処刑された。
このまま行けばの知る歴史と同じ運命を辿ることになるのは必須。
それだけはどうあっても避けなければならない。

大きな流れを変えるだけの力が自分にあるか、果たしてわからないけれど。
あの夢がただの夢でない証拠は、この身にある。
身の内に宿る強い光。
どうすればいいのか、なんてわからない。

だけど、力はあるのだから迷いはない。



「将臣くん、着替えるからあっち向いてて」
「え?! ――おいっ!」
「南都制圧だけは、絶対止めなきゃいけないの」
「だからって――こら!」

几帳の陰で着替えを始めたに慌てたのは将臣だ。
いくら幼馴染で小さい頃は一緒に風呂に入ったことがあるとは言え、それは10年以上も前の話だ。
今とは状況が違いすぎる。
ばさりと脱ぎ捨てられた袿に、肌が見えたわけでもないのに慌てて背を向けた。
ここまで南都にこだわる理由が将臣にはわからない。
歴史に疎いわけではないが、将臣の知識はあくまでも一般的なもので、ほどの深い知識は持っていない。
が知らないだけで戦は今まで何度か起きていたし、今回もそれと同じものだと思っていた。
勿論平和な時代を生きてきた将臣にとって戦争が正しいとは思っていないが、それでも世話になっている身で何を言えるだろうか。

外を眺めれば日はすっかり落ちている。
この分では重衡たちはすでに南都に到着しているだろう。
決戦は明日。
馬で飛ばしても、もう間に合わない。

「おい、――」

衣擦れの音が止んだため振り返れば、そこにいたのは雪襲の袿を羽織った幼馴染。
華やかな色合いの衣装を着ていることが多いためか、純白の衣装はひどく珍しい。
だが、それがの楚々とした雰囲気に合っている上に、どこか神々しさすら感じさせるから不思議だ。
ぱちん、と閉じられた扇は深い紫。
まるで誰かの髪と瞳の色のようだと思っていまうのは気のせいではないだろう。

見慣れているはずの将臣ですら一瞬惚けてしまうほどの美貌。
彼女はこれほど美しかっただろうか。
将臣の横をすり抜け、は庭へと飛び降りる。
闇に染まりつつある外の景色に、それは妙に際立っていて。

「2人を止めてくるね」

そう言って鮮やかな笑顔を浮かべたの周囲が輝いているようだと感じたのは気のせいではなく。
衣装のせいばかりでなく彼女自身が白色に輝いているのだと気付いた将臣が慌てて手を差し伸べるよりも早く、の姿が光に包まれ――そして消えた。


  • 08.01.23