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真理を見る


騒動から3日。
あの日、知盛と重衡の魔の手から逃げ回っていたは、思い余ったのか庭へと逃げ場を移し橋の上でバランスを崩した。
状況に気付いた重衡が手を差し伸べるもののほんの少しの差で届かず、結果としては重たい十二単姿のまま池へと転落。
中流貴族のそれならまだしも、清盛は帝の外戚という摂関家を凌ぐほどの権勢の持ち主であるため、その屋敷の造りも相当に大きい。
勿論庭園に力を注ぐ貴族と同様清盛の屋敷の庭もそれはもう見事で、特に池の規模は他の貴族も羨むほどだ。
ただでさえ小柄なである。
泳ぎに自信があるとは言ってもそれはあくまでも現代の話。
水着ではなく衣服――それも総重量10キロ以上ある重たい衣装を身に纏ったまま落ちたのだから、自力で浮かぶことすらできない。
血相を変えた随身が飛び込もうとするよりも早く飛び込んだ重衡と知盛の手によって助け出された時には、意識はあったもののぐったりとしていて。
まだ春には早いこの時期、暖房という便利なものなどあるはずもなく、また入浴の習慣もないため身体を温めることと言えば衣服を増やすか薬湯を飲む程度で、が風邪を引くには十分だった。

平安時代では病気は魑魅魍魎の仕業と言われているため、清盛は大層慌てた。
清盛を妬んだ政敵の仕業かと血相を変え、加持だ祈祷だと僧侶を呼んで護摩を焚き題目を唱え始めた。
の回復を祈ってのものだから有難いと思わなければいけないのだろうが、何せ自身もかつてないほどの高熱である。
栄養を取って安静にしていれば治る程度のものではあるが、一日中読経の声が響いていては満足に眠ることすらできない。
挙句の果てに精進潔斎をしたほうがいいというどこぞの坊主の提案を受け入れて、の食事から肉類が消えた。
に出される食事は冷飯と呼ばれる冷たいお茶漬けのようなものか薬湯だけで、これでは栄養を取るどころではない。
3日我慢したが一向に回復する気配のない高熱に、とうとうがぶち切れた。
坊主をすべて追い返し、将臣に頼んで現代風の風邪対策を施してもらった結果、の熱は徐々にだが下がり始めていた。
それでもまだは病床にいた。





   ◇◆◇   ◇◆◇





「熱……」

眠りから覚めるなりはそう呟いた。
相変わらず身体は燃えるように熱い。
喉の痛みは大分引いたし節々の痛みも消えてきているのだから、これでも回復はしているのだろう。

(熱なんて出したの、何年ぶりだろう)

体力には自信があったはずなのに情けない。
ほう、とため息をつけば耳元に聞こえてきたのは優しい声。

「真冬に池に落ちれば風邪も引きますよ」

重衡や将臣と違う声に視線を向ければ、枕元に座っているのは先日会った弁慶という男。

「弁慶様…?」
「清盛殿に呼ばれました。一応薬師なもので。姫君は僧侶がお好きではないようですね」
「そういうわけではないんですけど…」

くすり、と笑われての顔が赤くなる。
嫌いというわけではないが、病人の枕元で護摩を焚き太鼓を叩き昼夜問わず題目を唱えられたら気持ちが休まらない。
まして何を考えたのか大量の護摩を焚いたせいで、喉の痛みは悪化するし煙で目は開けられないし、部屋中煙まみれになってしまったのだから怒るのも当然というものだ。

「ただの風邪なのに、大げさすぎるんだもの」
「ですが、清盛殿のお気持ちを考えれば当然ですよ。溺愛している愛娘が池に落ちてしまったのですから。心の臓が止まってしまってもおかしくないほどの寒さなのですよ。風邪で済んだのは運がよかったほうです。お可哀相に、清盛殿はこれほど心配しているというのに、姫君が会ってくださらないとこぼしておりましたよ」

だがその原因を作ったのは重衡や知盛、ついでに清盛のようなものだ。
会いたくないわけではないが、やはり年頃の少女。
病みやつれた顔を義父達に見せたくないというのもあるし、心配した義父がまた暴走しないとも限らない。
何よりも春の除目に向けて忙しい清盛達に余計な心配をかけたくないというのもある。
だがそれを伝えれば水臭いとか言われるのだろうが。

「まったく過保護なんだから」
「それだけ姫君を大切に思っているということですよ」

意外に手厳しい姫君の様子に苦笑しながらも、あの後の騒動を知っているだけに弁護の言葉が出てこない。
確かに第三者の目から見ても清盛親子の動揺は凄かった。
常に泰然としていて余裕の態度を崩したことがない清盛。
貴公子然としていて優雅な重衡。
何事にも動じない豪胆な胆力を持つ知盛。
その三者が右往左往している姿は、実際にこの目で見ていても信じられるものではなかった。
からかいのネタができたと喜ぶのは簡単だが、果たしてその後に命があるものかどうか。
貴族ならば妻帯していてもおかしくない知盛と重衡。
どちらも相当の浮名を流しているものの未だに独身なのは、もしかして彼女のせいなのだろうか。
彼女がこの屋敷に引き取られたのは今年になってからだからそう考えるのは早計なのかもしれないが。
京に別邸を構えていた知盛と重衡が、が屋敷に引き取られた日から別邸に戻ろうとしないという話は聞いたことがある。
噂ではどちらがを引き取るかで三者間で相当もめていたとかいないとか。
弁慶はちらりとを見る。
まだ熱が高いからだろうか、目覚めたばかりだというのにすでに瞼は半分閉じかけている。

熱に浮かされた赤い顔、潤んだ瞳。
唇から吐き出される熱い吐息。

病中ということを抜きにしても、とても美しい少女だと思う。
深窓の姫君にありがちなおっとりとしたところはあるが、貴族の姫君らしくなく元気で明るい。
15〜16歳の少女にしては聡明だと言える頭脳。
そして何よりも清盛に対してあれだけ強い態度が取れるということが凄い。
市井で育ったからしっかりしているのだろうか、だが弁慶が知る町の女とも様相が違う。
この弁慶の頭脳を持ってしても読みきることのない不思議な少女だ。

「弁慶様は…」
「弁慶、で結構ですよ」

私は貴族ではありませんし、という弁慶の言葉には苦笑しつつ言葉を続ける。

「弁慶…さんは、どうして比叡山を出たのですか?」
「比叡にいたと言いましたか?」
「義父上に聞きました。理由も聞いても?」

見つめてくる視線はまっすぐで。
そこには好奇心だけでない何かがあるのだろう。
その何かまでは読み取れないが、単に弁慶に興味があるというだけではなさそうだ。
柔和な容姿をしているためか女性から好意を向けられることは少なくない。
身の上を気にして声をかけてくる女性は沢山いた。
貴族も平民も、それこそ掃いて捨てるほどに。
だが、はそのどれとも違う眼差しを弁慶に向けてくる。
それを不快には思わないが、策士を自認している自分に読みきれない相手がいるというのが面白い。

「簡単な理由ですよ。戒律の厳しい僧院は僕には窮屈でしてね」
「それで比叡山を出たの?」
「出たというか…夜な夜な抜け出して京の町で荒事を繰り返していたら、比叡の方から破門されてしまったんですよ」

見上げてくる眼差しに優しく微笑んで。
比叡を出た理由はそれだけではないけれど、に話したことも事実と言えば事実。
そう簡単にすべてを晒せるはずもない。

「あぁ、そうか…だから…」
「姫君?」

会話にならない言葉に首を傾げれば、の瞼は今にも閉じてしまいそうで。
高熱によって体力を消耗した身体は休息を必要としているらしく、頑張って起きていようと目をこすっているものの、意識は半分以上夢の世界にいるようだ。

「さあ、もう少し休んで。あと2日もすれば起き上がれるようになりますよ」
「だいじょ、ぶ…」

いやいやと愚図る姿が何ともいえず子供らしくて、思わず口元に笑みが浮かぶ。
大人の聡明さと子供の無邪気さを併せ持っているようだ。
頑張っているようだがやはり限界らしく、開こうと努力していた瞼はとうとう開かなくなった。
熱は峠を越した。
伝えた通りあと2日もすれば回復するだろう。
若いし普通の貴族の姫君よりも体力はありそうだから、そうなればすぐに元気になるだろう。

「ん…」
「姫君?」

眠ったと思っていたが、わずかに瞼を開いた。
何か伝えたいことがあるのだろうかと耳を澄ませば、聞こえてきた言葉に目を瞠った。

「弁慶…五条……。牛若丸…」
「!?」

すう、と眠りに落ちたから続きの言葉は聞こえてこない。
意識していたのか、それとも無意識か。
心の奥に踏み込んでくるような澄んだ眼差しを持ち、柔らかい笑みを浮かべる聡明な姫君。
清盛の掌中の玉。
だが…。

(この姫君は…)

危険だと、そう本能が告げていた。


  • 07.10.13