もう限界だった。
屋敷の奥に閉じ込められて数ヶ月。
琴も手習いも貝合わせも双六も飽きた。
知らない間に公達からの文は増えるし、屋敷の周りをうろつく輩は増えるし、警護の数も増えるしで、ここ数ヶ月の行動はかなり制限されているのだ。
今までならば大目に見られていた庭の散策も、思い余った公達が壁をよじ登って侵入してきたことがあるために禁止され、の機嫌は更に悪化。
そんなの元に、ご機嫌伺いと称して義兄達から大量の衣が贈られてきたせいで、すっかりは女房達の着せ替え人形と化していた。
それを知った惟盛や経正までもが珍しい髪飾りだの扇だの贈ってきたことが、何故か重衡の競争心を煽ってしまったらしく、現在の部屋はありえないほどの衣装に溢れている。
最初のうちは大人しく着せ替え人形に甘んじていたが、一向に静まる気配のない義兄達の熱にの忍耐もいい加減限界が近く、機嫌は一気に地に潜った。
義兄に言っても笑って取り合わず、幼馴染は当然我関せずと言った態度で、とうとう直談判に駆け込んだのだ。
要するに『子供の不始末は親の責任』というやつだ。
「清盛お義父様!!」
気力をふりしぼって重たい衣装を引きずり義父の部屋へ怒鳴り込んだのだが、部屋にいたのは清盛だけではなかった。
漆黒の僧衣に身を包んだ、一見すると女性にも見えるほど端整な顔立ちの青年。
驚きに見開かれた瞳は色素が薄い。
長い髪もこの時代には珍しい蜂蜜色だ。
そうして固まることしばし。
正気に返ったのはやはりというか乱入者のが先で。
「あの、どちらさまですか?」
先程の怒りなどなかったかのように。
清盛が大切に育んでいる『掌中の玉』は、呑気にそう訊ねてきた。
◇◆◇ ◇◆◇
「おお、。丁度そなたを呼びに行かせようと思うておったところじゃった。ささ、こちらへ来なさい。今日はまた随分と艶やかな姿ではないか。重衡の見立てかのう。梅重の装束とは中々あれも趣味がいい」
の姿を見つけて、清盛がにこにこと笑う。
やり場のない怒りをぶつけようと(要するに八つ当たり)清盛の部屋へやってきたのだが、客人を前にいきなりそんな暴挙に出ることもできず、不満はあるものの結局言われるまま清盛の隣へ腰を下ろす。
流れるような仕草は重衡の教育の賜物で、緋色の衣をさらりと翻す仕草はどこから見ても貴族の姫君。
先程の乱入ぶりが嘘のようだ。
それでもやはり笑顔にはなれないわけで、結果少々不機嫌気味の表情ではあるが、それは自分でもどうしようのないことである。
「弁慶よ。これが我の宝じゃ。と言う。どうだ、美しかろう」
「弁慶?」
聞いたことのある名前にが目の前の男性へと視線を向ける。
花のようなという形容が似合うかのような微笑を浮かべた男性は、清盛の言葉を受けて小さく頭を下げた。
「姫君にはお初にお目にかかります。清盛殿の碁の相手をさせていただいております。武蔵坊弁慶と申します」
「武蔵坊弁慶…」
の世界ではかなりの有名人。
京の都で1000本の刀を集めていた荒法師。
かの牛若丸の家来であり数々の伝説を持つ男。
伝承では大男だったはずだが、この目の前の優男があの武蔵坊弁慶なのだろうか。
「あなたが…?」
「はい。僕の名をご存知で?」
「あ、いいえ。そうではなくて。お坊さんには見えないから」
「ああ。僕は僧兵でしたから。今は薬師をしています」
「そうですか」
見た目の印象は女性らしい美しさを持つ美青年。
話した印象は温厚で思慮深い人物。
の知る『武蔵坊弁慶』とは似ても似つかない。
尤も伝承などあまり当てにならないのだけれど。
優美で繊細な印象。
だがまがりなりにも僧兵だというからには、それなりに腕に覚えはあるのだろう。
優雅な仕草は一種余裕ともとれる。
重衡の例もある。
見た目が柔和だからと言って実力が伴っていないとは限らない。
もし、この『弁慶』が本物ならば、いずれ平家と敵対する立場になるはずだ。
だが清盛のこの信頼ぶりを思うと、の予感は外れてほしい。
向けられるはしばみ色の瞳に姫君らしい笑顔を浮かべながら、はそう考える。
歴史がの知るものと同じなら、この平家はいずれ落日の憂き目を見ることになる。
清盛の死を境に転落していく一族の命運。
に可能ならば、それは何としても食い止めたいものだ。
世話になったからという理由だけでなく、すでには平家の人間という認識がある。
彼が、敵か味方か。
見極める必要がある。
ふと、弁慶がくすりと笑った。
眼差しが自分に注がれていることに気付いては慌てて扇で顔を隠した。
「随分と険しいお顔をしていますね」
「え…」
もしかしたら、何か気付かれたのだろうか。
そう思ったのだが、幸いなことにの危惧は杞憂に終わった。
「そういえば何やら清盛殿にお話があっていらっしゃったようですね。僕がいてはお邪魔なのでしたら席を外させていただきますが」
「あ…いえ別にそういうわけじゃ…」
「何じゃ、は我に用があったのか。我の部屋まで来ることは珍しい。何ぞ不都合でもあったか?」
隣に座る清盛が呑気にそう訊ねてきて、はここに来た目的を思い出した。
瞬時に険しい顔になり清盛へと向き直る。
「不都合なら沢山あります。部屋から出られないし、外にも出かけられないし、庭の散策すらできないし。更には重衡さんや知盛さんや経正さんや惟盛さんや教経さんからこれでもかってくらい贈り物が届いて、現在私の部屋はお店開けるくらいの衣や調度で埋め尽くされてます。一日に何度も着替えさせられておもちゃにされて、衣装は重くて肩が凝るし、琴も笛も琵琶ももう飽きました。いい加減惟盛さんのところに舞を習いに行きたいです。何とかしてください」
一息にまくしたてられて、弁慶はおろか清盛もぽかんと開いたままだ。
言い終えたはとりあえず気が済んだのか、脇息に凭れるように座ってふいと顔を背けた。
我慢のしすぎも身体によくないらしい。
言いたいことを言ったら随分とすっきりした。
日頃女房に言われている『貴族の姫君』とやらはどのようなことがあってもこうして直談判などしないだろう。
一応客人の手前姫君らしくしようとも思ったが、どうやら根は抑えられなかったらしい。
まあ、これがなのだから仕方ない。
自分の性格を直すつもりは毛頭ないのだから。
一見大人しそうに見えるし、実際かなりおっとりしているのだが、は意外と頑固である。
ぱたぱたと扇を弄んでいると、やがてくすくすと笑い声が響いた。
見ると弁慶が笑いを堪えているところだった。
「いや…失礼しました。随分とお可愛らしいと思いまして…」
「可愛いって…」
いきなり言われて思わず頬が赤くなる。
この弁慶、どうやら属性は重衡と同じらしい。
危険人物だ。
「まあ、よいではないか」
「清盛様?」
「あやつらがそなたを愛しいと思うが故の行動じゃ。そなたは笑って受け取ってやればいい。部屋が狭くて困るというのなら北の対に移ってくればよいではないか。そなたもそろそろ年頃じゃ。重衡と同じ対に住む必要もあるまい」
「そうじゃなくて、私が言いたいのは」
「重衡も重衡じゃ。我が贈り物をしようとすれば必要ないと断っておきながら、知盛や惟盛には許すとはけしからん。そうじゃ、すぐに北の対に移ってくるがよい。ささ、丁度いい。誰ぞ、時子を呼べ」
「いや、だから清盛さ」
「何じゃ、そのような他人行儀な呼び方などするでない。いつものように父と呼ばぬか」
「…………」
駄目だ。
は思わず額を押さえた。
そういえば重衡に負けず劣らず清盛も暴走傾向があった。
むしろ平家の棟梁ということで際限がない。
重衡が清盛の贈り物を断っているのも、重衡が狭量なわけではない。
勿論その理由も含まれているが、清盛にだけへの贈り物を禁止しているのは、以前に衣を贈ろうと京中の衣を買い占めそうになったからだ。
重衡の言い分はもっともだし、としても京を混乱させるつもりは毛頭ないので、こればかりは清盛の味方をするつもりはない。
だが、清盛にはそれが不満だったらしい。
が駆け込んできたためここぞとばかりに暴走する清盛に、は諦めたように腰を上げた。
「弁慶様…私は失礼させていただきます…」
「はい。ご寵愛深いというのも中々お辛いですね」
「でしたら変わってください」
「それは無理というものですよ」
にっこりと言い切られては肩を落とした。
大人しく自分の室に戻ろう。
とりあえず先ほど重衡に十分すぎるほど弄られてきたから当分は大丈夫だろう。
そう思って部屋を出ようとしたが、何かを聞きつけて足が止まる。
「姫君?」
いっそ見事なまでの硬直ぶりに不審に思った弁慶が声をかけると、蒼白になったの顔が視界に映る。
声は徐々に大きくなる。
どうやらを呼んでいるようだ。
が部屋を抜け出したことに気付いた女房のものだろうかと思い、それにしては声が男性のものに聞こえるのが不思議だ。
「…やば」
「姫君?」
小さく呟いたはくるりと方向転換をする。
怪訝そうな顔をする弁慶と清盛の間をすり抜けて、反対側の出口から姿を消したを、残された2人は呆然と見送った。
ややして聞こえてくる大きな声。
何やら言い争いをしているらしい。
想像していたよりも元気な『掌中の玉』の姿に、弁慶がくすりと笑う。
随分と元気な姫君だ。
姫君としては異色だが、意志の強い眼差しがとても印象的だった。
黙っていれば誰が見ても深窓の姫君。
だが、弁慶には先程の元気なの方が随分と好ましく映る。
なるほど、この清盛が溺愛するだけのことはある。
「可愛らしい方ですね」
「………やらぬぞ」
途端に独占欲を示してくる清盛にそれは残念と軽口を返して、弁慶はの去った方向へ視線を向ける。
声はまだ聞こえてくる。
更に大きくなっているということは、状況が悪化しているのではないだろうか。
清盛がこうしているということもあり、もしかして清盛邸ではこれは日常茶飯事なのかと思えば、それもまた面白い。
摂関家の藤原氏すら凌ぐ権勢を誇る平家。
まさか棟梁の家でこのような楽しい日常が繰り広げられているなど、誰が想像できるだろうか。
くすりと笑ったその時、庭で大きな水音が聞こえた。
清盛の屋敷には広大な面積の庭がある。
その庭の中央にある池は、さすが大貴族とも言うべき規模を誇る、夏には船を浮かべて遊べるほどの広大なものだ。
おそらく先程の水音はそこからだろう。
上がる悲鳴に誰かが落ちたのは間違いない。
一体誰がと思えば、脳裏に浮かぶのは元気に逃げていった件の姫君。
「清盛殿…」
「うむ…」
何やら嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
だが、嫌な予感と言うのはえてして当たるものである。
ばたばたと駆け込んできた警護の武士から告げられた言葉に、清盛と弁慶は慌てて部屋を飛び出した。
- 07.09.13