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百聞は一見に如かず


最近、京である姫が話題になっている。
清盛が手をつけた女房がひっそりと産み落としたという姫君。
子供がいたことを最近になって知った清盛が方々探してようやく見つけた姫で、清盛はその娘を引き取り今では目に入れても痛くないほどの溺愛ぶりだという。
年の頃は16歳。
鄙びた地で苦労して育ったとは思えないほど美しいという姫を垣間見ようと多くの貴族が来訪、もしくは文を送って寄越したが、不憫な境遇からか清盛の溺愛は深く、どれほどの公達であろうとも末姫と対面できた者は1人もいない。
宮家の者が訊ねても相手にしてもらえず、何とか忍び込もうと画策した貴族は警護の武士に捕まる始末。
清盛をして『掌中の玉』と呼ばれる姫に一目でも会いたいと思う者は多けれど、清盛以上に末姫を溺愛する兄2人のせいで、おそらくそれはこの先も叶わないだろう。

「清盛殿の『掌中の玉』ねぇ…」

六波羅の中心に佇む広大な屋敷を前に、1人の男がひっそりと呟く。
平参議邸と言えば、永遠の栄華を信じて疑わなかった藤原家をも凌ぐほどの勢力を、わずか一代で築き上げた豪傑の住処である。
ただでさえ物々しい警護だったのに、今では更に厳重になっている。
まるで宮中のような警護の数に、思わず口の端が上がる。
なるほどこれなら忍びこむのは不可能に近い。
どこそこの宮家の跡取りが無理やり押し入ってきて家人に咎められたとか、誰それの息子が忍び込もうとして衛士に捕まったという話が頭をよぎる。
管弦の宴に招待された貴族も、隙あらば末姫の住まう東の対屋へ忍び込もうとするせいか、ここ最近は平家の人間以外清盛邸の門をくぐることができなくなっていた。
もっとも正式な招待を受けていれば話は別だが。
そして、自分はその「正式な招待」を受けた数少ない人物である。

「衣通姫と称される美貌、興味がないわけじゃないんですけどね」

男なら美しいものを愛でたいと思うのは無理のないこと。
清盛の『掌中の玉』には多々興味あれど、だからといってそのような迂闊な行動を取って清盛の怒りを買うことは避けたい。

「まあ、機会はあるでしょう」

二兎を追う者は一兎も得ずと言うではないか。
青年は外套を被りなおし、清盛邸の門をくぐった。





   ◇◆◇   ◇◆◇





「おお、弁慶。よく来たな。久しぶりじゃのう」
「相変わらず、いえ以前にもまして物々しいですね清盛殿」
「五月蝿いハエどもがおるのじゃ。当然の処置ではないか。ささ、そんなことよりはよう座れ。今回は負けんぞ」
「ふふ、ではお相手いたしましょう」

にっこりと人好きのする笑みを浮かべながら、弁慶は進められるまま円座に腰を下ろした。
そうして碁盤に向き合うことしばし。
戦局は明らかである。

「むむむむむ」
「さあ、どうなさいますか」

余裕の笑みを浮かべていたのも最初のうち。
10分もすれば清盛の顔から笑顔が消え30分もすれば眉間に皺が寄ってくる。
そして今、清盛は碁盤を前に腕組をしたまま5分以上動かない。

「…弁慶。お前腕を上げたな」
「さあ。清盛殿の勘が鈍ったのでは?」
「いや、しかし…う〜む…」

清盛とて碁は苦手ではない。むしろ得意の部類に入る。
だが目の前の男は僧兵上がりの薬師でありながら妙に知恵の回る男で、清盛は碁でこの男に実力で勝ったためしはない。
しかもこの男、殿上人である自分に対し平民の身でありながらまったく容赦がない。
最も清盛自身そんな男が気に入っているのだからそれはそれで構わないのだが。
しかしそれにしても、と思う。
多少の手心を加えてもよいではないかとひっそりと心の中で呟くと、目の前の端整な顔がにやりと笑んだ。

「手加減、して欲しいですか?」
「いらんわっ!」

まるで自分の心を読んだかのような問いに思わず反発してしまったが、そうなると悲しいことに清盛に残された手はほとんどない上に負けは確実である。

「これで38戦28勝6引き分けですね」
「……嫌な男だな貴様は」
「性分ですので」

しっかり数えているあたり嫌味だ。
しかも清盛の勝ちはほとんど弁慶に譲られてのものだ。
それをしっかり言外に含んでくるあたりが可愛くない。

「さあ、どうします?」
「うむむむ」
「清盛殿?」

宮中で権勢を振るって数十年。
これほどの窮地に立たされたことは今までにないと断言できる。

「ああっ、もうわかった! 我の負けじゃ!!」

持っていた扇で膝を叩き白旗を掲げると、目の前の男は嬉しそうに笑う。
まったくもって気に入らない。
だが、その容赦のないところが気に入っているのも事実。

「のう、弁慶よ。本気で我のもとへ来ぬか?」
「残念ですが、僕は一介の薬師にすぎませんので、清盛殿がご病気になられたのでしたらいつなりと参じますけどね。軍師にという誘いでしたらきっぱりとお断りさせていただきます」

何度目とも分からぬ勧誘を、これまた何度目とも分からぬ拒絶が答える。
五条の橋の下で薬師として貧しい病人を助けている弁慶。
清盛にしてみればこの男が一介の薬師をしていること自体がおかしいことだと思うのだが、本人がこう言っている以上何を言っても無駄だということをわかっている。

「気が向いたらいつでも来るがよいぞ」
「では、気が向きましたら」

意外なほどあっさりと引いた清盛に、弁慶は軽く笑みを返す。
こうして清盛の屋敷に招かれれば、必ずと言っていいほど平家に来るよう誘われる。
平家の隆盛が明白な現在、当主直々のお声がかりともなれば、はっきり言ってこれは破格の待遇である。
一介の薬師には考えられないほどの出世であることは間違いないが、だからと言って自分が信じるものを捨てることなどできるわけがない。

(貴方の傍は意外と居心地いいんですけどね)

豪胆で懐の深い清盛のことを、弁慶は決して嫌いではなかった。
だからこそ承諾できないのだ、と心の中で呟く。
身動きできなくなるとわかっているから。

「さて、清盛殿。今回の褒美は何をいただけるのでしょうか」

勝負に勝てば好きなものをやろう。
最初に碁を誘われた時にそう交わした約定は、今もなお健在である。

「何が欲しいのだ」
「そうですねぇ」

最近珍しい薬草が手に入ったと言っていたし、それを頂くというのも悪くない。
食料でもいいかもしれない。そろそろ寒くなるから患者に温かい料理でも用意してあげたい。
それよりもわかりやすく金品でももらえば年を越すには十分だろうか。
そんなことをつらつらと考えていたら、ふとあることを思い出した。
多分どのような物品をねだるよりも難しいであろうそれ。
ねだってみるのも面白い。
弁慶はするりとそれを吐き出した。



「清盛殿の『掌中の玉』を拝見させたいただきたい」



と。

おそらくは強い拒絶に会うだろう。
下手すればどのような怒りを買うかわからない。
だが、ものは例というではないか。
好奇心半分本心半分でそう告げたのだが、清盛の反応は弁慶が予想していたよりも随分と淡白だった。

「なんだ、それでよいのか」
「はい?」
「もとよりそなたに会わせようと思うておったわ。ちょうどいい」

からからと笑う好々爺の笑顔に拍子抜けしてしまった弁慶は、次いで紡がれた言葉に今度は絶句してしまう。

「ちょうどあれも来たようだしな。ほれ」

指し示された扇の示すまま弁慶が振り返れば色鮮やかな衣が翻ったところだった。



「お義父様!!」



目を見開いた先に、天女が姿を現した。


  • 07.07.08