それはほんの一瞬だった。
が他所に気を取られた瞬間、背後に回った男によって身柄を拘束されたのだと理解するには、少々時間が必要だった。
恐怖はなく、あるのは困惑。
不思議そうに瞬きするの心境を知ってか知らずか、男は拘束する腕に力を込める。
「悪いが、騒がないでくれ」
緊迫した声だが、敵意や悪意は感じられない。
口を塞がれ声は出せないが、代わりに小さく頷けば相手にもそれが伝わったようで、込められていた腕から少しだけ力が抜ける。
とはいえが振りほどけるほど弱くはない。
「幾つか質問がある」
こくん、と頷くのは了承のしるし。
それに応えるようにそっと口を覆っていた大きな手のひらが外される。
「ここは、どこなんだ」
「…六波羅。平参議の邸」
「六波羅って、京の…? マジかよ…」
緊張しつつ答えたのに返ってきたのは妙に間の抜けた声で。
こんな口調の知り合いがいたなぁとぼんやり思ってしまうのは、やはり現状を把握していないならではで。
そういえば声も似ているかもしれない。
(って言うか…)
拘束された体勢のまま首だけで振り返ってみれば、そこに見知った顔――いや見知ったよりは少し成長した感のある幼馴染の姿。
「…将臣くん?!」
「何…、って…お前、?!」
も驚いたが少年――有川将臣も驚いたのだろう。
拘束していた腕の力もするりと抜けて、は思わず振り返って目の前の幼馴染にしがみついた。
「え?! ちょっとヤダ、本当に将臣くん?!」
「あ…あぁ、てかお前こそ本当になのかよ?!」
「えぇっ?! だって何でこんなに背が伸びてるの?」
「んなの、2年も経てば伸びるだろ、フツー。それより、お前、一体どこに行ってたんだよ? 連絡もよこさねーでよ、心配してたんだぞ」
「2年って何? 1ヶ月前に別れたばかりじゃない」
「いや待て。ちょっと待て!」
微妙にかみ合わない会話に気付いたのは、やはり将臣のほうが先で。
しがみついてきた幼馴染を眺めれば、服装こそ違うが外見は記憶の中のものと変わりなく。
「お前、今いくつだ?」
「15歳。…将臣くんは?」
「17。お前が引越してって2年半経ってる」
「えぇっ?!」
言われてみれば身長だけでなく顔立ちも精悍になっているような気がする。
「なんか、ズルイ…」
「はあ? 何だそりゃ」
「同い年の幼馴染がいつの間にか年上になってるなんて、何か悔しい」
「思うところはそれなのか、オイッ。もっとこう…何か思うことあるだろう、この状況で」
相変わらずの幼馴染の様子に思わず脱力してしまう。
明らかにおかしいこの状況に対して、疑問を抱いていないのだろうか。
「つーか、マジでここどこだよ」
「だから、六波羅」
「六波羅ってアレだよな。京都の六波羅蜜寺とかある、あの…」
「六波羅蜜寺は見てないからわからないけど、多分そう。でも京都じゃなくて京なんだって」
「だからさ…」
「うんとね、私たちがいた世界とは別の世界かな?」
「何で疑問系なんだよ」
「だって、私もよくわからないし」
「お前さ…」
しがみついてくるを抱きとめていた将臣の顔が強張る。
ぎゅ、と抱きしめる腕に力がこもったかと思えば、視界に入ってきたのは白刃の輝き。
持ち主を辿っていけば、そこにいたのは先程まで探していた義兄の姿。
「――離れろ」
何やら不機嫌なように見えるのは何故だろう。
緊張した面持ちの将臣がを背に庇うと、知盛の眦がきつく吊り上った。
「いい度胸だ、貴様。その命、惜しくないようだ」
きらり、と白刃が煌めいた。
初めて見る、武将としての知盛の顔。
鋭い眼差しはひたりと将臣に向けられていて。
ようやく状況を理解したは慌てて知盛にしがみついた。
「…どけ」
「駄目!」
「平家に侵入した男を、見過ごせと言うのか?」
「駄目ったら駄目! 侵入じゃないの! 私の幼馴染なんだから!」
「クッ、幼馴染、だと…?」
「おい…、何だよこいつ…」
「お願いだから、剣をしまって! 知盛さん!」
「平家…知盛って、まさか平知盛か?!」
「ほう…俺を知っているとは。貴様、ただの鼠じゃない、な」
「将臣くんのお馬鹿ぁー! 状況を混乱させないでよ!」
「ちょ…っ、何で俺が怒られるんだよ」
静かな夜、宴も終焉に近づこうという時刻に大きな声がすれば、怪しむ者がいるのは当然のこと。
ざわざわと人が集まってくる気配を感じて、はため息をついた。
「馬鹿将臣…」
「俺かよ?!」
◇◆◇ ◇◆◇
さすがは平家に仕える武士と言えばいいのか、事態に気付いた警備の兵達の行動は迅速だった。
将臣は駆けつけてきた兵によって清盛の前に連れ出された。
の制止の声は知盛によって黙殺され、現在は知盛の隣で不機嫌さを隠そうともせず座っている。
不法侵入及びの誘拐未遂という罪状を述べられ、将臣ばかりかも息を呑んだ。
訂正しようと暴れるを力で封じこめ、知盛は捕縛されている将臣に視線を移す。
平家一門を前にしても揺るがない強い視線が、心地よかった。
罪人として処断されてもおかしくない状況で、将臣が気にかけているのが壇上にいるの状況だということも、また知盛の興味を誘った。
幼馴染だというの言葉は、おそらく嘘ではないだろう。
咄嗟に嘘をつけるほど器用な義妹ではない。
当初は即座に男を斬り捨てるつもりだったのだが、意外な反応の鋭さに興味が湧いた。
そして、それ以外にも目の前の男には興味をそそられることがあった。
「重盛…」
清盛の口からその名が紡がれ、やはりと知盛は思う。
清盛が信頼し、平家でも人望の篤かった兄・重盛によく似ているのだこの男は。
勿論本人ではない。
重盛は知盛よりも遥かに年上であったし、すでに亡くなっている。
だが、目の前の男は、知盛の幼い記憶の兄と瓜二つと言っていいほど似ていた。
の幼馴染で、と同じ異世界からの来訪者だというのなら、これほど面白い偶然もないだろう。
面白そうにを見れば、どうやら随分と機嫌を損ねてしまったらしく、ぷいと顔をそらされてしまった。
この機嫌を直すのは随分と骨が折れそうだ。
だが…。
何かが起こりそうな予感に、知盛はわずかに笑った。
- 07.06.03