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後悔先に立たず


温かいぬくもりに覚醒を促されて目を開ければ、見える景色は昨日と変わらない。
ああ、そういえば自分は異世界に飛ばされたんだと、冷静に分析できる程度には気分は浮上したらしい。
何一つわからないまま連れてこられた平安時代のような世界。
良い人達に拾われたことが不幸中の幸い。
とは言っても15歳の少女がそんな不可思議極まりない体験をしてしまったものだから、情緒不安定になってしまうのは仕方なく、何やら昨夜は激しく落ち込んでいたりなんかしたのだけれど。

(………いつのまにお布団に入ったんだっけ?)

廊下で激しく落ち込んでいるところに重衡が現れてからのことが、おぼろげな記憶しか残っていない。
せっかく前向きに生きていこうと思っていたのに、こんなに早くホームシックになるなんて思わなかった。
これだから闇夜というのは性質が悪い。
何やら醜態を晒してしまったような気がするが、恥ずかしくて覚えていないのは良かったのか悪かったのか。

(胸にすがって泣いちゃったような気がするんだけど…うーわー)

羞恥心のあまり顔から火が出そうだが、意外と気持ちはすっきりしている。
知り合って1日目の男性の胸にすがって泣いたなど、幼馴染達に知れれば警戒心がなさすぎると怒られること間違いない。
そういえば彼らは元気だろうか。
無駄に元気すぎるくらい元気だったから、多分変わりはないと思うけれど。
そんな懐かしい――と言っても1週間ほどしか経過していないが――幼馴染達へと思いを馳せていれば。

「お目覚めですか、姫」
「?!」

耳元で囁かれた声に、の思考が一時止まった。

「……………」

そういえば先ほどから随分と背中が温かいなぁとか思っていたけれど。
まさかそんなことあるはずないと、想像すらしなかった。
だけどよくよく考えてみれば、背中に感じるのは間違いなく体温で。
なんだか振り返るのが怖いような気がするのは気のせいではない。
おそるおそると視線をめぐらせば、そこにあるのは麗しい美男子の色っぽい姿で。
ただでさえ艶っぽいのに、寝起きのせいか色気は3割増し。
となれば、彼氏いない歴=人生年数のに免疫があるはずもなく。



「きゃあああぁぁぁぁぁl!!!!」



早朝の重衡邸に、の悲鳴が響き渡ったのは無理もないことだった。





   ◇◆◇ ◇◆◇





「いい加減に機嫌を直してください、姫」
「やだやだ! 重衡さんの馬鹿っ」

目覚めてから何度となく聞かされた台詞。
だが明らかに笑みを含んだその謝罪の言葉をすんなり受け入れられるはずもなく。
結果としては几帳にくるまって姿を隠したまま。
朝餉にも手をつけようとしない。

(そりゃ、何かあったわけじゃないけど、でも、でもっ)

勿論本当に怒っているわけではない。
見知らぬ土地で不安に怯えているをなぐさめてくれたのだということは重々承知しているのだが、如何せん思春期真っ盛りの15歳の少女である。
いくら義兄だとは言っても、出会ってからわずか1日。
兄妹という感情にはまだ遠く、端整な男性の腕の中で一夜過ごしてしまったということが、たまらなく恥ずかしい。
だから重衡には早く出て行って欲しいのだが、一向に部屋を出て行こうとしない重衡に対してどう反応していいのかわからないのだ。
顔を真っ赤にして拗ねる姿が愛らしく、そのせいで重衡が傍から離れないのだということをは気付かない。

「困りましたね。どうしたら姫君の機嫌は直りますか?」
「知らない!」

全然困っていない声でそう言われても、説得力などありはしない。

「そうですか…。残念ですね。折角今日はと市へ出かけようと思っていたのですが」
「……」

ぴくり、と小さな背が反応する。
目敏い重衡がそれに気付かないはずはなく。

「珍しい品や旅芸人などもおりますから、よい気分転換になるはずですよ」

嘘ではない。
昨夜は随分と不安定になっていたから、多少なりとも気分転換ができればと思っていたのは事実だ。
順応性も高く好奇心も旺盛らしいなら好むだろうという重衡の予想通り、几帳の影から小さな頭がおずおずとのぞいてきた。
色鮮やかな几帳の影から見える大きな瞳に、思わず笑みが浮かぶ。

「…本当?」
「ええ、本当ですよ。ですから機嫌を直していただけると嬉しいのですが」

元々重衡に非があるわけではないのだから、いつまでも怒っているのは唯の我侭だ。
それに市は見てみたい。
こちらの世界に飛ばされてまだ日がないということもあるが、の知る世界はこの屋敷の中だけで、外の世界がどうなっているかまるで知らない。
興味がわかないはずなかった。

もそもそと近づいてきたの姿は、まるで警戒を解いた小動物のようだ。
経正の邸で飼っていた猫と初めて対面した時と同じだったなと思い、思わず笑いそうになるところをさすがに堪える。
またを怒らせるわけにもいかない。

「…本当に市に連れていってくれる…?」
「ええもちろん」
「じゃあ、許してあげる」
「ありがとうございます。では朝餉を召し上がってください。ああ、それよりも先に着替えを済ませていただけると助かるのですが」
「えっ?!」

慌てて自分の姿を見れば、単姿のまま。
目覚めてすぐに几帳にくるまってしまったから、そういえば着替えていなかった。

「きゃああぁぁぁぁ!!」

本日2度目の悲鳴とともに隣の部屋に駆け込んでいってしまったの後ろ姿を見ながら、重衡はくすくすと笑った。


  • 07.04.16