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闇夜に思うこと


朝が来れば夜も訪れるのは自然界の法則である。
平安時代と酷似しているこの世界に、電気というものがあるはずもなく。
ということは必然的に夜ともなれば、まさに一寸先は闇なのである。
本当の闇夜、というものをは経験したことがなかった。
暗くなれば電気をつけて、夜でも街灯が明るく道を照らしている。
そんな生活が当たり前だった日常、停電でもない限り一条の光も射さない闇というものとは見たことがなかった。

だが、今は違う。
電気など無縁のこの世界。唯一の光とも言える月が雲に隠れてしまえば、目の前に広がるのは一面の闇。

「真っ暗、なんだよねぇ…」

灯明の光が照らすのは手元のほんの少しだけで、庭の向こうに篝火が見えるけれどそれもの知る街灯とは比べ物にならないほど小さい。
見慣れない光景だと思う。けれど同時にこれが自然のことなのだ、とも思う。
昼と夜。光と闇。陰と陽。
極端に別れる2つの世界が、この世の真理なのだということが、こうして闇の中にいるからこそわかる。

「星は綺麗なんだけど」

明かりがないせいか、夜空に輝く満天の星は素晴らしく綺麗だ。
以前北海道に旅行した際に見た満天の星空。
あれほど綺麗なものはないだろうと思ったものだが、今見える星空はそれより遥かに美しい。
静寂に包まれた世界はとても綺麗だが、どこか冷たい感じがする。

ふと肌寒さを感じては袿を引き寄せた。
季節は初秋。
昼間はまだ暑さが厳しいが、朝夕は少しずつ涼しくなってきている。
もうすぐ寒くなるからと用意された秋物の衣類は、すべて重衡や女房達の心づくしだ。
身一つで異世界に飛ばされたのために、平家の皆はとてもよくしてくれる。
清盛は何の事情も聞かずを養女に迎えてくれたし、重衡も喜んで住居を提供してくれた。
重衡の兄だという知盛も、不自由のないようにと衣やら道具やら用意してくれる。
申し訳ないと思うものの、彼らの好意に甘える以外は生活していく術を持たない。
本当に有難い。
だが…。

「月が、見えないよ…」

先程見えた月は、今は厚い雲に隠されて見ることが出来ない。
何もかも違う世界。ただ、夜空を照らす月だけは変わらない。
それだけがあちらの世界と同じものなのだ。

ホームシックなんて柄じゃない。
子供の頃から活発すぎて、幼馴染達と家を抜け出して探しに来た親に怒られたことは少なくない。

は明るいから、どこでもしっかりやっていけるよね』

別れの際に親友に言われたのは、そんな言葉。
今のこの状況を考えれば、その言葉を否定するつもりはないが、笑って肯定もできないわけで。
もっとも親友の言う『どこでも』に異世界まで含んでいるわけではないだろうが。

「元気かなぁ…」

ぽつり、と呟けばじわりと胸に這い上がってくるのは、寂寥感。
見知らぬ世界でただ1人。
どれだけ親切にされようと、自分が異邦人であることは変わりなくて。
何が、というよりもただ怖い。

今頃心配しているであろう両親のことを思えば、自然と目頭が熱くなって、は強く頭を振ることでこみあげてくる感情をやり過ごそうとした。
泣いては駄目だ。弱くなる。泣いたからと言って何が変わるわけでもないのだから、下手に周囲に心配をかけたくない。

(駄目…駄目なんだから…)

呪文のように自分に言い聞かせる。
運命を悲観するわけではないけれど、こんな静かな夜は色々考えてしまうから。
いつ、帰れるのかと。
両親に、幼馴染に、再び会うことは叶うのかと。
だから、考えては駄目なのだ。
消すことのできない願いに押しつぶされそうで、は膝を抱えてうずくまった。



「泣いて、いるのですか?」



気遣わしげな声に、はっと顔を上げればそこにいたのは重衡で、涙さえ流していないものの、やはり目敏い彼にはの心境など簡単に見透かされてしまったらしく、重衡の秀麗な面差しがわずかに翳った。

重衡自身、ある程度予想はしていたのだ。
突然舞い降りてきた少女は、おそらく自分が置かれている状況がよくわかっていなかったのだと思う。
慌てるでもなく嘆くでもなく、ただぼんやりと重衡の説明を聞いていたその姿に、どこか危うさと感じた重衡の危惧は間違っていなかった。
夜半になり1人考える時間になって色々と考えれば、見知らぬ世界に1人置かれた不安に押しつぶされそうになっているのではないかと思い、がいる東の対屋を訪れれば想像通り不安そうにうずくまるの姿。
小柄な身体を更に小さくして高欄に寄りかかる姿はひどく頼りない。
無理に涙を堪えようとしている姿が哀れだった。

「泣いてもいいのですよ」
「……ううん、泣かない」
「何故ですか? 寂しいのでしょう」
「寂しい…けど、泣いちゃ駄目なの…」
「いいのですよ」

宥めるように優しく囁けば、眼差しがゆらりと揺れる。
どうしてそこまで耐えようとしているのか分からないが、気丈に振舞う姿はかえって庇護欲をかきたてる。
守りたい、そう思わせるほどに。

姫。私で力になれることなら、何でもいたしましょう。ですから、どうかそのような哀しい目をなさらないでください」

頼りない身体をそっと引き寄せればそれは重衡の腕の中に簡単におさまってしまうほど小さい。
突然の行動に驚いたのだろう、小さな抵抗が腕の中で起こるが、弱々しいそれは重衡の腕を解くほどのものではなかった。
一見細く見えるが、重衡は平家でも名うての武将。
武芸で鍛えた身体は意外と逞しく、がいくらもがいてもびくともしない。

「重衡、さん…離して…」
「姫君、どうぞお1人で抱え込まないでください」

涙を堪える姿がいじらしくて頬に触れれば、耐えかねたの眦から涙が一滴零れた。
悔しい、とぽつりと呟いたのは一体何に対してか。

「…怖い」
「はい」
「知らない世界、知らない場所で、たった1人でどうしたらいいかわからなくて…怖いよ…」
「1人ではございません。私がおりますよ」

驚いたように瞠られた瞳。
何度となくそう告げているのに、本気に取られてはいなかったようで、社交辞令だと思っていたと言われてしまえば、重衡は苦笑するしかない。
過去の悪行の数々をこの少女が知っているとは思えないが。

「私が傍におります。ずっと、貴女を1人にはしませんから、どうか安心してください。ここには貴女を害するものは何もありません。父も申しておりましたでしょう。我らは家族も同然なのだと。平家の末姫となられた貴女は私にとっても大切な妹。1人きりになど、させませんよ」

安心させるように囁けば、涙に濡れた瞳がふわりと笑む。
抱く腕に力を込めれば、今度は大人しく身を委ねてきた。
男に慣れていない、純真な姿が愛らしい。

「…重衡さん、お兄ちゃんなんだ」
「ええ、そうですよ。可愛い妹君」

しなだれかかるような仕草は、安心したせいか緊張の糸が解れたためか。

「眠ってしまいなさい。悪い夢は見ませんよ」
「う…ん…」

頷くのが早いか、うとうとと微睡はじめたを、重衡は優しく抱き上げた。

「お休みなさい、よい夢を」


  • 07.04.11