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突然の養子縁組


十六夜の月が見事だった。
誰が言い出したのか宴の席が催されたのは、相国邸――つまり清盛の住む邸である。
身内のみが集うとは言っても、現在飛ぶ鳥を落とす勢いの平家の宴ともなれば、宮中で催されているそれとも大差ない規模のもの。
武家でありながらも貴族と同様の生活をしている平家では、芸事に達者な身内が多いせいか、折りに触れ宴を開くのが慣例になっていた。
ましてや今日は直系の男子が六波羅に勢揃いするという、久方ぶりの本格的な宴。
楽人を呼ぶまでもなく、平家には管弦に長けたものが大勢いる。
彼らもまた久方ぶりの対面に興が乗っていたようだ。

経正が琵琶を敦盛が笛を奏で、惟盛と重衡が舞台で舞う。
淡い月光に照らされて舞う彼らの姿は艶やかで、普段なら退屈そうに杯を傾けてばかりの知盛までもが、座興にと一指し舞を披露してみせた。
女房達が感嘆のため息をつき、邸の主も満足そうに笑う。

『まるで天女も魅せられるほどの煌びやかさよ』

誰がともなく口にしたその言葉。
なるほど確かに天上の宴もかくや、と言わんばかりの華々しさである。
平家の隆盛を見せ付けるかのように、また突出した管弦の才を存分に知らしめるかのように。
宴は続けられた。

異変が起きたのは、舞を終えた知盛が舞台から降りた時のこと。
誰も居ない舞台の上を、金色に輝く蝶がひらりと舞った。
夜も更けたというのに現れた蝶は、あつらえたかのように平家の紋様と同じ揚羽蝶。
ひらりひらりと舞台を漂う蝶は、周囲の視線を受けたまま舞台の中央へと移動する。

と――

『――?!』

金色の蝶が突如まばゆい光を放ち出した。
夜の闇を光一色に染め上げるような見事な閃光に、居並ぶ公達は驚愕した。
光は一瞬で消滅した。そして金色の蝶の代わりに舞台に存在するのは、一人の少女の姿だった。
鮮やかな、どこか柔らかさを感じる気高い光に包まれた少女は、ぼんやりと夢を見るような表情のまま。
見知らぬ衣服に身を包んだ、けれどとても美しい少女は、突然の出来事に呆然としている公達の姿を一瞥し、居並ぶその姿を確認すると。

ふわり、と笑んだ――。





「それが、私?」
「はい。あの時の姫君はとても美しゅうございました。衣通姫もかくや、と言わんばかりに。私などはあまりの神々しさに息が止まってしまうかと思ったほどです」

嘘のような本当の話とは、まさにこのことか。
何しろ、何一つ覚えていない。
だが、どうやら自分が異次元――それものいた世界の平安時代によく似た別の世界に迷い込んでしまったらしいことは間違いない。
まさか自分がこんな破天荒な運命を歩むことになるとは、平凡に生きてきた15年の年月からどうして想像できるだろう。

それにしても平家一門は、おおらかと言えばいいのか無用心と言えばいいのか。
突然現れたを引き取るのに、清盛と重衡以外にも大勢が名乗り出たのだそうだ。
平家の比売神と言えば聞こえはいいが、つまるところ突然の乱入者。

「不審人物も同然なのにね…」
「とんでもない!」

ぽつりと呟いた声に反応したのは、やはり重衡だった。

「蝶は我が平家一門の紋様です。その蝶に誘われて姿を現した貴女は、まさに平家の守り神。我らの比売神も同然にございますれば、どうぞそのような哀しいことは口になさいませんようお願いいたします」
「…ごめんなさい。もう言いません」

切なそうな眼差しを向けられれば、悪いことをしたわけでもないのに罪悪感で胸が痛む。
客観的に適切な判断だと思ったのだが、予想以上に重衡の反応が大きくては俯いた。

「でも重衡さん…というか、平家の皆さんは本当にそれでいいんですか。だって、比売神とか言われても確認しようもないんですよ。証拠もないし」
「証拠ならございます。この清らかで愛らしい御姿、私を惹き付けて止まない魅惑的な仕草。どれをとっても常世のものであるはずがございません」
「はあ…」

よくもそこまでというほどの美辞麗句を並べているが、周囲の人が無反応なところを見ると、どうやらこれは彼の地か。
それともこれがこの国の風習というものなのだろうか。
女性を褒めることはの世界でも珍しいことではないが、この砂を吐きそうな甘い台詞を真顔で言える人物はそういない。
最初の頃は過剰なスキンシップや耳元で囁かれる甘い台詞に身の置き所がなかったが、哀しいかな人間は慣れる生き物なのである。
出会ってから数刻、早くも耐性が出来てきたようだ。
自分の順応性を褒めてあげたい。
むしろ慣れなかったら重衡の邸に世話になることは不可能に近い。
本当は清盛の邸の方が警備やら色々と安全なのだろうが、いくら何でも平清盛本人の邸に居候は居心地が悪い。
それに、は元来警戒心が薄い上に、他人を疑うことを知らない。
そんなだから親切にしてくれた重衡に信頼を寄せるのはごく自然なこと。
更にはどうやら刷り込みが入ってしまったようで、平家の総領である清盛の邸よりも重衡のもとにいた方が比較的気楽なのも事実。
何よりもが眠っている3日の間で、の身の回りのものをすべて手配してくれていたらしく、目覚めた時に部屋に並んでいた調度も、今着ている着物もすべてのためにあつらえてくれたものだという。
その好意を無にするのも申し訳ない。
上目遣いで重衡を見れば、そこにあるのは優しい眼差し。
どうしてこの世界に来てしまったのかわからないが、見知らぬ世界で女1人生きていくことがどれだけ難しいか、あまりにも怖くて想像もしたくない。
目の前には自分を丸ごと受け入れる態勢十分の重衡。
普段なら1人で何とかすると強がりを言えるが、今は状況が状況だ。

「…甘えちゃっていいですか?」
「はい、ご存分に」

笑顔で頷かれて、は頭を下げる。

「しばらくお世話になります。よろしくお願いします」
「こちらこそ、光の姫君。姫君の世界にお戻りになられるまで、どうか我らを家族とお思いください」

こうしての平家滞在が決定した。


  • 07.04.11