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異次元よ、こんにちは


『元気でね』

涙声で何度も手を振る幼馴染達を見送ったのは、つい先日。

母親同士が親友で、生まれた時からずっと一緒。
いつまでも一緒にいられると思っていた。
隣に住む兄弟とも仲がよくて、まるで兄妹みたいねとよく笑われた。
小学校も中学校も一緒。これからもずっと続くと思っていたのに。
別れはいつも突然にやってくる。



そう、例えばこんな風に――。





   ◇◆◇   ◇◆◇





我ながらとんでもないドジをしてしまった、と思う。
運動神経は悪くないがどこか鈍いところがあるのは、認めたくないけれど事実。
だからといっていくら何でも引っ越した早々に、15階のマンションのベランダから転落なんて、笑い話にもならない。
だけどぐらりと傾いだ身体は急には止まらなくて、気が付いた時には宙に浮いていた。
遥か下に見える地面が迫ってくるのが暗くなる視界に見えて、ああこれは死んだな、などと、まるで他人事みたいに思ったりもしたのだけれど。

「あれれ?」

どうやら五体満足で生きているようだ。
自分の運の良さなんて今まで考えたこともなかったが、そう言えば悪運は強いほうだったかも、などとぼんやり思う。
だからなのだろう。
こうして無事でいられるのは。
よくやった、自分。

なんて呑気に喜ぶには、現状があまりにも不自然すぎることにようやく気付いた。
自宅のベランダから転落したことは間違いない。となれば少なくとも救急車騒ぎにはなっているはず。
それにしては、目を開けてすぐ視界に入ってくるのが高い天井というのが腑に落ちない。
この場合病院だったり自分のベッドだったりするのならまだわかるのだけれど。
それか一面の花畑とか。
などと微妙に物騒なことを考えながら身を起こせば、そこはまるで時代劇のセットのよう。
と言っても江戸時代ではなく、どう見ても平安時代。
几帳、御簾、屏風。
きらびやかな布に囲まれた自分の状況が理解できないのは、寝起きのせいだけではないだろう。

「ええ、と…」

不思議そうに首を傾げても返ってくる声ひとつなく。
起き上がってみれば、何故だか全身がひどく重い。
身体が軋むような鈍い痛みは、やはりどこか怪我しているからなのだろうか。
大怪我しなかっただけもうけもの。とりあえずそう思うしかない。
そして気付いたのは、自分にかけられていた大きな着物。
何だか昔祖母の家で見た掻巻というのに似ている。それよりも遥かに豪華だけれど。
さらに寝かされていたのは畳の上。
と言っても和室ではない。床に畳が1畳敷かれているだけだ。

「やっぱり平安時代みたい…」

とりあえず、一般家庭ではないことは確実だ。
むしろこんな一般家庭、嫌だ。

「というと、一体…」


「お目覚めですか? 姫君」


ぼんやりと呟いた声に、艶やかな声が重なった。
ふと視線を上げると、几帳の影には男性の姿。
銀髪紫瞳の、いかにも育ちのよさそうな好男子の姿に、は不思議そうに目を瞬かせた。

「ご気分はいかがですか? 光の姫君」
「ええと…悪くない、です」

光の姫君とは誰のことだろうと一瞬考えるが、この場にいるのが自分と青年だけなのだから間違えるはずもない。
姫君なんて柄じゃないと思いつつが答えると、目の前の青年は嬉しそうに微笑む。

「それはようございました。3日もお目覚めにならなかったので心配いたしました」
「3日ですか?!」
「ええ」
「寝坊にも程がある…」

ぼそりと呟いた声を、目の前の男性は軽く笑っただけで何も言わなかった。
どうやら聞き流してくれたらしい。

「では、姫君。お目覚めになられたばかりで申し訳ないのですが、質問に答えていただいてもよろしゅうございますか?」
「あ、はい」
「まずは、貴女様の御名を」
、です」
「大変愛らしい御名でございますね。それで、お年は」
「15歳です」

答えながらも、蕩けるように甘い笑顔に居心地の悪さを感じるのも無理はない。
何しろの周囲にいる男といえば、同年代の子供ばかりだ。
更に身近にいたのが、がさつというか乱暴というか元気が有り余っている幼馴染な為に、こういう洗練された大人の男性というものにはとんと無縁に生きてきた。
さらりと口に乗せる美辞麗句は、15歳という思春期真っ最中の少女にとって少々刺激が強すぎる。
正直目の前の男性を見ることすら恥ずかしい。
だが、意識がない3日間世話になっていたようなのだから、挨拶するのは最低限の礼儀だ。
躾には厳しい母親の教育をしっかりと受けてきた。
世話になった人に礼の一つも言えないようでは、後々母にどれだけ怒られるか。

「ええと、このたびはとんでもなくご迷惑をおかけしたようで、本当に申し訳なく…、あの…」

しっかりと挨拶しようと思っているのだが、やはり目の前の麗しい男性の零れんばかりの笑みを前にしては、まともに話すのも難しい。
こんな美形に凝視されることなど、生まれて初めてのこと。
赤くなって俯いたをどう思ったのか、青年はくすりと笑った。

「ご迷惑だなどとんでもない。我ら一門、身に余る光栄と喜んでおります」
「ところで、ここは…?」

きょろきょろと周囲を見回してみればどうやら大きな屋敷のようで、平安時代の寝殿造りみたいな建物は壁という概念がないせいかとても見晴らしがいい。
几帳と御簾、それからいくつかの調度品以外何もない部屋は勿論、部屋から見える庭も随分と広いような気がする。

「僭越ながら私の部屋でございます。本来ならば棟梁である父の下が適切だったのかと存じますが、私の一存でこちらへと。何か不自由がございましたら何なりと仰ってください」
「いえ、不自由ではないんですけど…」

むしろここの住所が知りたい。
そう言えば、青年が小さく頷いた。

「ここは京の都、六波羅にございます」
「六波羅…?」
「ええ」
「六波羅…」

聞かなければよかった。

後悔先に立たず。
そんな言葉が脳裏をよぎった。



、15歳。
マンションから落ちたはずが異次元へタイムスリップしてしまったことを、本人はまだ知らない。


  • 07.04.11