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kissにも負けない


食事が終わると星刻は書斎に篭ってしまう。
それがいつものパターンなのだが今日は違っていた。
リビングのソファに腰を下ろし、何やら書類を眺めている姿に珍しいなと思いつつ、ルルーシュは食後のお茶を淹れていた。
星刻は珈琲よりも茶を好む。中国人ということもあるのだろうが、中国茶に関してはなかなかこだわりを見せているらしく、ルルーシュが引っ越してきた当初、食材や調味料は皆無に等しかったキッチンに、相当量の茶葉があって驚いた。
珈琲を淹れるのは苦手だが中国茶の作法なら完璧だと、妙に自慢げに星刻が淹れてくれたのが君山銀針。
今まで珈琲か紅茶ぐらいしか飲んだことのなかったルルーシュだが、初めて飲んだそれはルルーシュの好みにもぴったりで、緑茶、白茶、黄茶、青茶、紅茶、黒茶と様々な種類があることも趣が深く、それから食後は毎日といっていいほどに中国茶を淹れるのが日課になっていた。
淹れたばかりのそれをテーブルの上に乗せれば、書類から目を上げて礼を告げられた。

「それは学校の資料か?」
「いや、実家のほうだ。見ても構わないぞ」
「…遠慮しておく」

ルルーシュがいるからないのか、星刻は学校での仕事は家に持ち帰らない。
分かっていて聞いたが、やはり返ってきたのはそういう言葉で。
経済のことならばそれなりに興味はあるが、何せ書面の文字は中国語。
さすがに博学なルルーシュと言えども中国語はまだ習得していない。

星刻の実家が中華連邦でも有数な華僑の一族だと言うことを知ったのは、あの日バベルタワーで星刻に助けられた時だ。
表向きはEUの名門にも負けない大企業。
如かしてその実態は国内すべての企業を裏から束ねる――俗に香港マフィアと呼ばれる一族の要だったと知ったのは結婚してからの事。
普通の高校教師だと思っていたのに実はマフィアのボス(代理)だと言われた時のルルーシュの驚きは言葉では表せない。
時折厳しい目を見せるけれど基本的には温厚な黎先生とはまったく違う一面を見せた星刻を怖いと思ったのは一瞬、すぐに見知った表情に戻った星刻に思わず取りすがって泣いてしまったのは、実はルルーシュの中では消し去りたい過去ナンバー1だ。
ルルーシュは他人に弱みを見せることを嫌う。
それは天涯孤独に生きていくと決める前からしっかりと性格形成をされていて、たとえ相手が母であれ親友であれ、ルルーシュは自分の悩みを他人に相談するということができないでいた。
信用していないというわけではなく、ただ、自分が悩んでいることを知られたくないだけなのだが、どうしてか星刻には隠し事が一切通用しない。
そう簡単に顔に出るタイプではないと自負していただけに、それはある意味新鮮だった。
教師は勿論家族や親にだって気づかれたことがないのにどうして星刻はわかるのだろうと不思議だったが、何のことはない。
星刻が裏の世界の人間だったから観察眼に長けていただけのことだったのだが。
ルルーシュにとって黎星刻は不思議な人物だった。
人当たりがよく温厚で、生徒だけでなく同僚の教師からも信頼が篤い。
まるで絵に描いたような好青年だが、ルルーシュには笑顔で本性を隠しているようにしか見えなかった。
謀らずともその本性を知ってしまってからは、世の中には知らないほうが幸せなのだということもあるのだということを嫌というほど知ってしまった。

そんな星刻と何故結婚したかと言われると、はっきりその場の流れというやつだ。
実は隠れて付き合ってましたというパターンでは、勿論ない。
ルルーシュは親友が頭を抱えるほどに恋愛に関しては鈍く、誰にも悟られずに担任と恋愛関係にいられるほど器用な性格をしているわけでもないのだ。
では何故かと聞かれれば、話はバベルタワーまで遡る。
未成年であるルルーシュが賭けチェスをしていることを星刻に問い詰められ、初めて他人に家庭の事情を話した時、金銭的援助はしてやるから危ないことはもうするなと言われたことが原因だ。
ルルーシュは矜持が高い。
親戚縁者を頼らず1人で生きていくと決めた以上、赤の他人の庇護を受けることなどできるかと突っぱねたのがそもそもの始まり。
自分の身を危険に晒してまで強がってどうすると言われかっとなった。
自分でもうすうす気づいていたことを他人に指摘されることほど頭にくることはない。況してやルルーシュは生真面目な性格で思い込んだら他が見えなくなることもある。
その言葉は咄嗟に思考を麻痺させるほどに痛いところをついていて。
さらには家族を亡くしたばかりなのに泣くこともできないほど神経を張り詰めていたルルーシュの感情が爆発するのは当然だった。
激昂して泣き出したルルーシュに星刻は更なる爆弾を落としてくれたのだ。

『では、他人でなければ構わないのだな』

そう言って連れていかれたのは何故か役所で。
あれよあれよという間に気が付いたらルルーシュの苗字はランペルージではなくなっていたのだ。
あの時は確か3時間ほど意識を飛ばしていたような気がする。
とんでもなく強引で突拍子のないことを平気でやってのける男だと思う。
何故彼がここまでして自分を庇護してくれるのか不思議で仕方ないが、華僑一族の総帥(代理)でありながら相変わらず学校の教師などやっている星刻の頭の中を窺い知ることは、さすがのルルーシュにも不可能だ。
実際彼が気紛れであろうと熱血な教師魂の賜物であろうと、それでルルーシュは助かっているのだからあえて疑問をぶつける必要はない。
何だかんだ言いつつも星刻との共同生活(新婚生活なんて恥ずかしくて絶対呼んでやらない)は居心地がいいのだから。

「それにしてもわからないな」
「何だ急に?」

お茶を置いてすぐに立ち去るものと思っていたルルーシュは、星刻の隣に腰を下ろして不思議そうに夫を見つめている。

「星刻が華僑の総帥なのに、どうして私立校の教師なんてやってるのか」
「…代理と言ってもらえないか。私は総帥なんて面倒なポジションに就いた覚えはない」

ルルーシュにしてみれば何も変わらないと思うのだが、星刻にとって代理という肩書きは重要なものらしい。
そんなこと言われてもバベルタワーで見た星刻はどこからどう見てもマフィアのボスそのものだったし、周囲に控えていた強面の連中も星刻を総帥と呼んでいた。
日に何百億という金を動かせる立場にいて、どうして高校の教師なんてやっているのだろうか。
普通なら実家を継ぐのが嫌で家を飛び出して教師になったのかもしれない。
だが星刻は教師となってからも総帥代理を行っていたのだから、裏世界とも通じている家業を嫌って教職を選んだという選択肢はない。
むしろそんな正義感ぶった感情は星刻には不似合いだ。

「なあ、どうしてだ?」

至近距離から見上げれば、ややして星刻が小さく首をかしげた。

「趣味、かな」
「…酔狂な」
「学費をギャンブルで稼ぐ君ほどじゃないさ」
「私の場合は生活手段だったからいいんだ。一応バベルタワーは合法だし」
「だが危険なのはこの間で懲りただろう。偶々あの場に私がいたから助かったようなものの、今後同じ目に合っても助けられる保障はないぞ。もうするなよ」
「あ、そうそう。今日の茶はどうだ? 今日は西湖龍井にしてみたんだが」
「そんな分かりやすい方法で誤魔化せると思っているのか?」
「あ、そうだ。洗い物が残ってたんだ」
「見え透いた嘘をつくな」
「ほわあっ?!」

家事万能のルルーシュは食事が済めばすぐに片づけを行い、食後のお茶を出すときにはキッチンは既にゴミ1つ落ちていない。
今日だけ片付けを済ませていないはずがなく、星刻の言葉に返事をするのが嫌だということが丸分かりの行動に星刻の眉が跳ね上がった。
逃げようとする手を掴んで思い切り引き寄せれば、突発事項に弱いルルーシュはそのまま奇声を上げて星刻の腕の中にダイブした。
恋愛に疎い上に男の免疫がないルルーシュはこういう触れ合いがとても苦手だ。
星刻の膝の上に抱きかかえられている状態だと気づいたルルーシュが慌てて逃げようとするものの、見た目以上に鍛えられた腕から逃れることは不可能。
至近距離から見据えられて真っ赤になる。
その距離わずかに5センチ。

「星刻! 近い! 近い!」
「君が約束をすればすぐに放してやるさ。賭け事にはもう手を出さないな」
「あー、うー。それは、そのー」
「………成る程」

声のトーンが微妙に低くなったのを感じたルルーシュがやばいと思った時には既に遅く。
剣呑に瞳を光らせた星刻の顔がルルーシュの首筋に埋められて。

ふうっ、と耳朶に感じる吐息。



「ほわあぁぁぁぁ!!」



何とも色気のない悲鳴が室内に響いた。


  • 09.03.17