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kissまでの距離


ルルーシュは天涯孤独の身の上だ。
1年前に母と妹を事故で亡くしたのだ。
両親は幼い頃に離婚していてそれ以来父親には会っていないから、父親の元へ行こうという気はさらさらなかった。
何せ母と妹の葬儀にすら参列しなかった男だ。
頼まれてもお断りだ。
身寄りのなくなったルルーシュを引き取りたいと名乗り出た親戚がいないわけではないが、明らかに遺産目当てだとわかる連中の世話になるのはルルーシュの矜持が許さなかった。
ルルーシュが相続できる18歳まで遺産は弁護士に管理を任せ、ルルーシュは1人で生きていく道を選んだ。
幸い貯金で当座の生活は何とかなりそうだったし、バイトをかけもちすれば学費も賄えるはずだった。
とは言っても所詮は学生の身、得られる給金などたかが知れている。
家を出て狭いアパートを借りることにしたものの、敷金礼金権利金などを払えば貯金は一気になくなった。
学費は今年1年分は払い込んであったから助かったが、来年になればかなりの額の金額を振り込まなければならなくなる。
毎月の生活を切り詰めても出費はそれほど変わらない。
今後のことも考えて貯蓄もしたいし修学旅行の費用もかかるしと考えてしまうルルーシュは、悲しみに浸ることも許されないほど現実的な少女だった。
すべての生活費を賄うとなれば小さな喫茶店のアルバイトだけで追いつくはずもなく、ルルーシュはリヴァルの紹介で少々危ないと言われている賭けチェスにも手を出した。
シャーリーからは危険だからやめろと何度も言われたが、アッシュフォード学園は私立でも名門校だ。学費もべらぼうにかかる。
最初は学費のかかるアッシュフォード学園を中退なり転校なりしようかと考えたのだが、母マリアンヌと妹ナナリーはルルーシュの制服姿を非常に気に入ってくれていたし、何よりもアッシュフォード学園は名門私立校であると同時に国内でも有数の進学校だ。
将来安定した生活を送るためには学歴はある程度必要だ。
しかもルルーシュの希望する職業は国家公務員である。学校の成績は重要なのだ。
会長であり学園長の孫娘であるミレイのお陰で学費は奨学生ということで免除になったけれど、学業にかかる諸費用までもは面倒見てくれない。
学校行事の多いアッシュフォード学園ではやはりそれなりに経費がかかるわけで、そうなるとやはり高額のバイトの方がいいわけで。
幸いチェスはルルーシュの得意分野で、今まで何度か賭けに参加したけれど負けたことなどなかったから大丈夫だと思ったのだ。
まあ、さすがに裏の世界だから危ない目にも何度かあったが、それでも実入りは抜群だし、年端もいかない少女に負けたからと怒り出す矮小な人間もそういなかった。
なんだこんなの簡単じゃないか。
そう思ってしまうのは小娘の浅はかさと言うしかなくて。
いつか痛い目を見るから止めなさいというシャーリーの言葉が現実になったのは、それから数日のことだった。





   ◇◆◇   ◇◆◇





賭けに負けた貴族がルルーシュを詐欺師呼ばわりした。
チェスでイカサマなど出来るわけがないのは一目瞭然。
なのに真っ赤な顔でそうわめき出した男は、運の悪いことに裏の世界では『黒のキング』と呼ばれる実力者だった。
小娘に負けたことは高い矜持を傷つけてしまったようで、やりすぎたと感じた時にはすでに遅く、ルルーシュは背後から2人のガードマンに拘束され、目の前には勝ち誇った笑みを浮かべる黒のキング。
周囲の反応も冷ややかなもので、何人かはキングの行動に不愉快な表情を浮かべているが、それでもこの世界での実力者であるキングの行動に異を唱えて自分が不興を買うことは避けたいのだろう、皆見て見ぬふりを決め込んでいる。
あれ、ちょっとヤバイんじゃないのと思った時には事態は更に悪化していて。
向けられた銃。
まさかそこまでとは思わなくて、ルルーシュはぎゅっと目を閉じた。
たかが賭けチェス。
ルルーシュにとってはそれなりの大金だが、貴族にとっては懐が痛むほどの高額でもない。
一度や二度の負けくらい笑って終わらせるほどの度量がなくてよくもキングだなんて名乗れるものだと呆れたが、目の前に突きつけられている銃は多分本物で、ちょっとイってしまっている目は男が本気だということを証明している。
ごめん母さんナナリー、意外と早く2人に会いにいくことになりそうだよ、と心の中で亡き母と妹に語りかければ、予想に反していつまでたっても銃声は聞こえてこなかった。
あれおかしいなと思って閉じていた眼をうっすらと開けてみれば、場の雰囲気は先程とは打ってかわって静まり返っていた。
むしろかつてないほどの緊迫感に包まれているのは気のせいだろうか。
周囲の視線はただ1人に注がれている。
畏怖と恐怖を一身に集めているのは背の高い男。
長い黒髪を軽く束ねて、珍しい中華連邦の民族服に身を包んだ男は、その視線をまっすぐキングへと向けている。
服装は違うし放つ雰囲気もまったく違っているけれどその姿は――。

「随分と愚かなことをしているようだな」

聞こえてきた冷ややかな声。
そこには普段の優しさなど欠片もなくて、まるで同じ顔を持つ別人のようだ。

「そ…総帥」
「年端もいかない少女を相手に何を血迷っている。賭けに負けたのは己の実力不足だということぐらい分からないのか。なのにイカサマ呼ばわりの上銃まで持ち出すとは」
「い…いえ…私は…」
「うちのカジノでこのような無様な真似は許していないはずだが?」

射抜く視線とはこういうことを言うのだろう。
睨まれた当事者ではないというのにルルーシュの背筋に冷や汗が伝った。

「連れて行け」
「はっ」

背後の男にそう指示すると、男はゆっくりとルルーシュの前に歩み寄ってくる。
長い裾がゆらりと揺れている。
あぁ中華連邦の民族服って綺麗だよななんて思ったのは一瞬。
すぐに視線の険しさに身をすくめた。
怖かった。
生まれて初めて見た修羅場。それも多分本職の人達の。
他者を従えることに慣れた仕草、反論など許さない強い存在感。
お前授業をさぼってばかりいないで少しはまじめに学業に励め、いやだな先生私はしっかり学生してるじゃないですか授業だってまじめに出てるし生徒会の仕事だってやってるし学校の成績だって悪くないはずですよ、授業中昼寝ばかりしているくせによく言えたな、気のせいでしょう私が授業中に寝ているはずないじゃないですか。
なんて学校でふざけていたのが嘘のような――多分これがこの人の本質。
拘束を解かれても自力で立つことなんてできなくて、ルルーシュはその場にずるずると座り込んでしまった。
無様だとは思うけれど、どうしても膝が笑って立てない。
目の前で膝を折る気配がして、硬直した顎をしなやかな指が持ち上げた。
切れ長の瞳に浮かぶのは軽い叱咤と多大な呆れ。

「ルルーシュ、困った子だ。ここは未成年のくる場所ではないぞ」

先程見たのが嘘のように穏やかな顔。
ざわりと周囲がどよめいたけれど、ルルーシュにとってそれは普段から知る担任教師の顔で。

「黎、先生…」

気が付けば涙が溢れていた。


  • 09.02.20