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眠り姫のkiss


最近の星刻は疲れているようだ。
そう感じるのは勿論ルルーシュ。
星刻はそんな様子を微塵も見せないけれど、それほど長くない付き合いからでも彼が他人に弱みを見せない性格だということを知っているから、ルルーシュは言葉ではなくふとした時に見せる表情や仕草からそう判断する。
それでもしばらく放置しておいたのは、仕事に口を挟むのは失礼だと思ったからなのだが、日に日にやつれていく星刻を見てはさすがに放っておけない。
ルルーシュは黙ってソファーから立ち上がった。
夫の健康管理は妻の仕事なのだ。


「ということで寝ろ、星刻」
「いきなり何をする」


持っていた書類をまとめて奪われた星刻は不満顔。
書類を奪われる時点で既に普段と違うのだが、やはりと思うルルーシュとは反対に星刻は気づいていない様子だ。
奪い返そうと伸ばされた手をかわして、代わりにその手にティーカップを乗せる。
きょとんとなった顔が意外と幼くて可愛かった。


「これは何だ」
「カモミールミルクティー。鎮静と安眠に効果的だ。それを飲んで少し休んだ方がいい。明らかにオーバーワークだ」


声は静かで、だからこそ星刻を案じているのだという心が伝わってきた。
表情を見れば冷ややかだが、紫の瞳はどこか哀しそうな色を浮かべている。
ルルーシュは言葉遣いや態度などから傲慢に見えることがあるが、本質はとても献身的な女性だ。
仕事から帰れば栄養満点の手料理が準備できているし、部屋の中は塵1つ落ちてないほど綺麗に片付けられていて、星刻のわずかな反応を見ながら出される食後のお茶は間違いなくそのときの星刻が飲みたいと思ったものだ。
室内に焚かれたほのかな香は、アロマオイルから香木を使ったものまで様々で、人工的でないその香りは、仕事で疲れた星刻の心を癒してくれる。
優しい言葉とか甘える仕草とかは見せないけれど、誰がどう見ても非の打ち所のない奥さんであることは間違いない。
そんなルルーシュは当然のように、夫の仕事に関して一切口を挟まない。
高校教師と華僑総帥代理というありえない二足の草鞋を履いている星刻は、一般的なサラリーマンとは比較にならないほど多忙だ。
何しろ世界中に散らばる華僑一族をを束ねる総帥代理という仕事は、大企業の会長のそれと大差ない。
むしろ独裁色の濃い総帥という立場は、お飾りの会長職などとは責任も仕事量も比べ物にならない。
総帥代理である以上、本来ならば片手間に総帥の補佐をしていればよかったのだが、現総帥は代替わりしたばかりで10代前半の少女。
学業に専念するのが精一杯で、己の実家が行っている事業の全貌などとても把握していないだろう。
そんな総帥の代理なのだから星刻は執務の全権を担っていると言ってもよい。
1日のほとんどを高校教師として費やしている以上、もう1つの仕事はどうしても深夜までかかってしまうことが多いのだが、それに関してルルーシュが不満を告げたことは一度としてない。
だが、彼女は言葉にしないけれど相当の寂しがりやだ。
家族を亡くして天涯孤独となったルルーシュを、広い部屋に1人きりにさせておくのは忍びなかった。
そのため星刻は実家での用事を最小限に抑え、ほとんどの決済を自宅に持ち帰っている。
最初こそ書斎に篭ってしまうことが多かったが、ふとした拍子にクッションを抱えて寂しそうにテレビを見ているルルーシュの姿を見てしまってからはそれもやめた。
書類は社外秘の最重要案件だったりするのだが、そんなのルルーシュの笑顔に比べれば塵芥と同じだ。
カジノや領地の視察などはどうしても自分で行わなければならないが、それ以外は部下に任せ、幼い総帥へのご機嫌伺いと称した顔見せも極力控えるようにした。
それでも任された以上中途半端にできないのが星刻だ。
いくら仕事を持ち帰ってきたとは言ってもそれなりに時間がかかるものも多く、ここ連日は徹夜に近い日々を送っていた。
さすがに疲労を感じるようになっていたことを、一緒にいるルルーシュが気づかないはずがない。
咎めるような案じるような眼差しを向けられて、それでも彼女の気持ちを無視できるほど星刻は鈍感ではなかった。
諦めるようにため息を一つ。
手渡されたミルクティーは適温で、わずかに味覚を刺激する蜂蜜の甘い味が疲れている己を案じるルルーシュの思いやりだ。
カップの中身がなくなったのを確認して、ルルーシュはそれを受け取る。
邪魔にならないようにテーブルの端に置いて、ルルーシュは星刻の隣に腰を下ろした。
そのまま伸びた手が星刻の肩をゆっくりと引き寄せる。
それに星刻は首を傾げた。
普段ならば星刻の肩によりそうように頭をもたれてくるのはルルーシュのはずだ。


「何だ」
「いいから」


優しい声、頬に触れる少し体温の低い指。
引き寄せられるまま身体を預ければ、頭を受け止める柔らかい感触。


「少しくらい休憩した方が仕事の効率はいいんだ。頭いいくせに忘れてただろう」


己の膝の上、星刻の長い髪を愛しげに撫でるルルーシュの声に、星刻は小さく笑う。
確かに忘れていた。休息を取ろうと思うことではなく、憩いを与えてくれる存在が傍らにいたという事実を。
星刻が手を伸ばせば心得ているかのように白い手がそれを握る。
形ばかりの妻だと思っていた少女は、今、こうして疲れた男の身を癒す聖母の慈愛を見せている。
星刻の大きな手に自分のそれを重ねて微笑む姿に、言葉では表せない愛情が溢れてくる。
愛しそうに指を絡める仕草がとても可愛い。
彼女を妻としたのは成り行きだったが、普段ならばいくら教え子だとて資金援助程度で済ませていただろう。
半ば強引に婚姻を結ばせたのは、もしかしたら己の心に彼女を特別に思う何かがあったからなのかもしれない。
形だけでなく本当の夫婦としてお互いを想い合っていることが確信できる今となってはどうでもいいことだが。


髪を撫でる手つきはとても優しい。まるで眠ってしまえというように何度も同じ動きを繰り返すそれは、確かに抗い難い誘惑だ。
目を閉じれば感じる疲労と安心感。


「少し眠れ。しばらくこうしていてやるから」


眠りに誘う声に素直に目を閉じれば、頬に触れる小さな感覚。


「おやすみ、星刻」


囁かれる声に耳を傾けながら、星刻はしばしの微睡みに身を任せた。


  • 10.08.18