見たことがある横顔に、柳生は足を止めて振り返った。
人ごみにいてもわかる存在感は間違いなく彼女だ。
いるだけで花が咲いたように場が華やぐ存在感を持つ人物はそう多くない。
カリスマ性と言えるだろうそれは、雑多な繁華街にいても――否、いるからこそ更に目立つ。
「さん?」
気が付いたら声をかけていた。
どうして彼女がここにと思ったが、そういえば彼女は今年から神奈川の高校に編入したのだと友人が話していたことを思い出す。
友人はそれでは彼女の兄は相当落ち込んだだろうと軽口を叩いていたが、氷帝の通う別の友人から「あの時の跡部は梅雨時のなめくじのように鬱陶しかった」とうんざりしたような顔で話していたから、おそらく想像は間違っていないだろう。
足を止めて振り返った彼女が身に纏う制服は、立海からそう離れていない場所にある私立高校のもの。
白を基調にした制服は上半身はタイトなのだが、スカートはバルーン型のようにボリュームのあるデザインで今時珍しい膝丈だ。
柳生を見て驚いたように目を瞠った少女は、また少し綺麗になっただろうか。
サイドが邪魔にならないようにゆるく纏めてある髪は背中を越える長さで、ほんの少し伸びたようだ。
柳生は足を止めたに近づく。
「柳生さん?!」
「お久しぶりです」
「お久しぶりです。えぇと、3ヶ月ぶりですね」
そう言ってふわりと笑うに、柳生は覚えていてもらえたのだと思い少し嬉しくなる。
彼女に会ったのは彼女が氷帝中等部を卒業する日。
あれからもう3ヶ月も経つのかと思えば、時間の経過とは本当に驚くほど速いものだ。
「貴女が神奈川にいるとは思わなかったから驚きました。星奏を選んだのはやはりヴァイオリンですか」
「はい。氷帝のままでという声もあったんですけど、海外に公演に行くことも多いから単位が心配になっちゃって」
兄には泣かれたんですけどねと軽く笑うだが、多分それは比喩ではないだろう。
氷帝の帝王と呼ばれる彼女の兄は、テニスよりも妹を愛していると公言するほど妹を溺愛している。
彼女も相当のブラコンだと言われているが、それでも自分の将来を考えて進路を選ぶことができるほどには自立しているらしい。
妹と離れるのが嫌でプロにならないのだと揶揄されている彼女の兄にも見習ってほしいものである。
だが、柳生としては高い実力のある彼と試合できる機会があることは喜ばしいことなので、特に不満はないのだが。
日本のテニス界を考えたら損失であることは間違いない。
そういえばもう1人、彼女のためにプロ進出を伸ばしていると噂されている自身の友人の顔が頭に浮かんだが、それは意図的に消去させてもらうことにした――何だか悲しくなったので。
「それにしても珍しいですね。貴女がお1人で行動するなんて。少々不用心ではないですか」
「そうですか?」
不思議そうにきょとんと首を傾けるは、おそらく自分がどれほどの視線に晒されているか気づいていない。
今でさえ多くの男性がに意味深な視線を向けてきているのだ。
恐らく柳生が声をかけなければナンパされていたことは間違いない。
尤もあの跡部がを一人で歩かせることはないだろうから、どこかにSPがいるのだろうけれど。
過保護と言ってしまえばそれまでだが、彼女が大財閥の令嬢であることと、世界的に名前の知れたヴァイオリニストだということを考えればやりすぎということはない。
「今日は買い物ですか?」
彼女の手にあるのが学生鞄とヴァイオリンケース以外に、可愛らしくラッピングされた包みの入った紙袋があったのでそう聞いたのだが、は嬉しそうに笑って頷いた。
「もうすぐお友達の誕生日なので、彼女が好きだって言ってた入浴剤を買ってきたんです」
「あぁ。女性は好きですよね、入浴剤とかアロマオイルとか。《L'OCCITANE》でしたっけ」
自身の姉も例に漏れず入浴剤やボディクリームなどを買っている。
少々値が張るけれど香りが良いのだと言っていた。
誕生日にもねだられて購入したことがあるメーカーは確かそんな名前だったはずだ。
そう思って言葉にしたのだが、どうやらビンゴだったらしい。が目を輝かせて頷いた。
「柳生さん、詳しいですね。その通りです。私は初めてお店に行ったんですけど、可愛いものがいっぱいで迷っちゃって。結局自分の分も買っちゃいました」
「私は姉の誕生日プレゼントを購入したのですが、あの店は男一人で入るには少々気恥ずかしいものがありました」
「確かに男の人が一人だと入りづらいかもですね」
くすくすと笑うは何だか嬉しそうだ。
こう見えて彼女は国内外を飛び回るプロのヴァイオリニストだ。そして学生でもある。
どちらも疎かにしないと言い切る彼女は、間違いなくそのへんの女子高生とはけた違いの忙しさであるはず。
週末はほとんど公演が入っているし、月に数回は海外へ出かけることもある。
勿論毎日の練習も欠かせないだろうし、東京から神奈川への通学も自家用車だとは言えそれなりに時間はかかる。
疲れているのだろうかと思うが、その表情は明るく充実しているようで安心する。
「さん。――今日はこれから予定でも?」
「いえ。今日は何もありません。ちょっと疲れたから甘いものでも食べてから帰ろうかなと」
「では、私にエスコートさせていただけませんか。丁度近くに丸井君お奨めの甘味処があるんです。餡蜜が絶品とのことですよ」
「餡蜜!」
「いかがですか」
「是非!」
『外国のお姫様のような外見をしていながら、跡部は無類の和菓子好き』という情報は間違っていなかったらしい。
スイーツに関してはそのへんのグルメ評論家よりも味にうるさい丸井が文句なしと太鼓判を押した店だ。
彼女が気に入ってくれれば良いのだが。
では、との手から執事よろしく手荷物を奪い、ヴァイオリンのみをに戻す。
「あ…」
「女性に荷物を持たせておくことなどできませんよ」
残念そうな顔をしながら去っていく男達の後ろ姿をどこか優越感を持って見送り、柳生は彼女の手を取った。
- 11.03.07