がマネージャーになってからまもなくひと月。
予想以上の働きに部内からの不満の声は一切ない。
本人もそれなりに楽しんで働いているようで、半ば強引にマネージャーに引っ張り込んだようなものだから多少の負い目はあったものの結果オーライということでいいかなと誰もが思っていた。
岳人の一言があるまでは。
「そういえば、そろそろ一ヶ月だよな」
ポツリと呟かれた岳人の言葉。
何が、とは聞かない。
放課後の部活動時間、目の前には部員にタオルを渡すの姿。
ベンチに座ってまめまめしく働くの姿を目で追いながらの台詞なのだから、誰を指しているかなんて一目瞭然だ。
「よく働くよね」
「面倒見もいいし能力も申し分ない。いい人材だと思うよ」
「それに可愛いしね」
「時々とんでもないドジだけど、まあ愛嬌があっていいんじゃねえの」
気難しい正レギュラー陣が認めるほど、は氷帝学園テニス部のマネージャーが板についてきている。
元々家事能力は万能のだ。
掃除も洗濯もドリンクの準備も最初から完璧にできていた。
備品の管理も女性ならではの細やかさを見せて一切の不備がないように手配しているし、スコア表の書き方も俄かマネージャーとしては優秀すぎる人材だ。
テニス部には今までマネージャーがいなかったわけではない。
が入部する前こそ各部員で持ちまわりマネージャー業を行っていたのだが、その前にはれっきとした女子マネージャーが存在していた。
ただテニス部員に近づきたいという不純な動機がほとんどだっために、入部しても数日持たなかっただけだ。
彼らが求めているのは笑顔で応援してくれる少女ではなくて、テニス部を裏から支えてくれるマネージャーなのだ。
その点を言えばほど適任はいない。
「このまま何も起きないといいんだけどね」
滝の言葉に全員が頷いた。
◇◆◇ ◇◆◇
そんなことを話していた数日後。
見慣れた光景を見て忍足は眉を潜めた。
時刻はお昼休み。いつものように屋上で昼食を取りのんびりと時間を過ごしていたのだが、ふと見下ろして校庭に数人の女子の姿が見えたのだ。
「…おい、跡部」
「何だ」
「あれ、見てみい」
促されるまま視線を落として、跡部の眉が跳ね上がる。
1人の少女を囲むように立つ複数の女子生徒。
普段なら気にも留めなかったはずだが、中心にいる少女には見覚えがあった。
「」
「あぁ、やっぱりね」
正レギュラーが心配していたことが現実になってしまった。
学園内でアイドル並みの人気を誇る男子テニス部である。
ある意味彼らに一番近い場所にいるマネージャーというポジションは多くのファンにとっては許せるものではないらしい。
跡部が睨みを利かせていても何度となくこういう場面には遭遇してきた。
熱意のあるマネージャー志望の女子生徒もいなかったわけではないが、執拗な呼び出しや陰湿な嫌がらせによって退部していった例も少なくない。
にだけはそんな目にあわせたくないと思っていたのだが。
「とりあえず行ってくるわ」
「待て、俺も行く」
「珍しいやんか、跡部がそこまですんのも」
「あいつは優秀だからな。こんなくだらねえことで辞めさせるわけにはいかねえよ」
跡部がを可愛がっているのは周知の事実。
それがたとえ出来の悪いペットを可愛がる飼い主のような感覚だとしても、学校内の女生徒などそのへんのミジンコ程度にしか思っていなかった跡部にとってはいい変化である。
場所は階段を下りればすぐだ。
だから相手を激昂させることもないだろうけれど、と思いながらも2人は屋上を飛び出した。
◇◆◇ ◇◆◇
「さん、私たちがいいたいことわかってるわよね」
聞こえてきた声。
いつものようにヒステリックな響きはないからどうやら間に合ったらしい。
「えぇと、一応はわかってるつもりですけど」
「なら話は早いわ。どうなのかしら。イエスなのかノーなのかはっきりしてほしいんだけど」
「貴女がマネージャーになってからそろそろ一ヶ月よ。こちらも困るの」
「悪いけど時間がないのよ」
飛び出して行こうとしたと2人は、会話の流れから足を止める。
声の響きに糾弾するようなものは含まれていない。
むしろ下手に出ているような気がする。
あれ、何かいつもと違うぞと思った時に目に入ったのはの表情。
上級生に囲まれながらも少し困った様子で怯えている様子は見られない。
それどころか手帳をパラパラとめくりながらう〜ん、と首をひねっている様子。
忍足と跡部は無言で顔を見合わせた。
いくらが天然だとは言っても、さすがに上級生にリンチさながらに校舎裏に呼び出しされてこの様子はおかしい。
「確か前回は先月の頭でしたよね…。予定では来月の第1月曜日とか思ってたんですけど、どうでしょうか」
「忙しいのは分かってるんだけど、今月中に何とかならないかしら」
「来月の3日が誕生日なのよ」
「そういうことでしたら…うんと、月末の金曜日とかどうですか? 調理部の部活もありませんし。早めに言っておけば私の方の部活もお休みさせてもらえると思いますから」
「いいの?! 助かるわ!」
「いいえ。連絡できなかったのは私のミスですから」
リーダー格らしい少女にがしっと抱きつかれては嬉しそうに笑う。
それはどう見ても『気に入らない女子マネを呼び出したテニス部ファンの集団』という図にはあてはまらなくて。
ぽかんと成り行きを見守っていた2人の姿をが発見した。
「あれ? 跡部さんと忍足さん。どうしたんですか?」
きょとんと首を傾げる姿は危機でも何でもなくて。
むしろ女子達の視線が険しくなっているように見えるのは気のせいだろうか。
「いや…お前達の姿が見えたから何かあったのかと思って…」
「何かって何よ、跡部。あたしたちがさんに何かするはずないでしょ。この泥棒」
「泥…。貴様俺様に向かってよくもそんなことが言えたな」
「ふんだ。強引にマネージャーに引きずり込んだくせによく言うわよ」
に抱きついたまま跡部に舌を出す少女は、跡部のクラスメイトだった。
性格は姉御肌で面倒見がよく、影でこそこそすることを嫌うタイプだ。
確かに彼女が下級生を呼び出してどうこうという可能性は低いだろう。
だが跡部が睨まれる理由がよくわからない。
そしてこれ見よがしにに抱きついたままなのも。
「えぇと、質問してええか?」
「はいどうぞ忍足さん」
「ちゃんとこのお姉さん方との関係は一体…?」
「お料理仲間です。料理部とは違うんですけど、月に1回くらいかな、一緒にお菓子作りしてるんです」
「だって、さんの作るお菓子って絶品なんだもの。普通のお店よりもよっぽど美味しいし、そんなの作ってみたいじゃない」
「そう言ってもらえると嬉しいです、先輩」
にこにこにこー。
めちゃくちゃ嬉しそうな笑顔でそう答えるが嘘をついているとは到底思えない。
そういえばは以前にも野球部のエースから熱烈なラブコールを送られていた時も、何故か女子生徒から僻みの声は一切上がらなかった。
その時に聞いた噂を急に思い出した。
「そういえば、俺聞いたことがあるで。『は氷帝の胃袋を掌握してる』って」
「…奇遇だな。俺も今それを思い出したところだ」
とりあえずマネージャーは安泰らしい。