Sub menu


Honey Sweet


「う〜ん……」

月曜日の放課後、しかも場所が調理室となれば、いつもならば少女達の明るい笑い声と美味しい香りが漂ってくる時間帯である。
だがしかし、今の調理室に漂うのは何とも微妙な空気であった。

中等部の部活動とはいえ氷帝学園料理部の実力は校内では知らない者はおらず、特に週に一度の部活動では毎週有名店に負けないほどの豪華かつ美味な料理が出来上がることで有名だ。
部員の少ない文化部の弱みというべき少ない予算をカバーする超豪華差し入れを使った料理は、成長期の少年少女のみならず口に五月蝿い教師陣にとっても垂涎の的であり、そのせいか料理部の活動実態はその予算とは比べ物にならないほど豪華だ。

高級食材を料理部に差し入れると、それは今まで見たこともないような料理へと変貌を遂げて戻ってくる。
ちなみに前回某音楽教師が差し入れたグラム2000円の神戸牛は、見事なローストビーフとなり、某生徒会長が差し入れた1個5000円のアップルマンゴーはタルトとムースへ変貌を遂げた。
勿論それらは料理部の部員で美味しく頂くのだが、特典として差し入れてくれた人物はその料理を相伴できることになっている。
最初にそれが行われたのが誰だったか、最早知る者はいない。
だが、部活動としては分不相応なほどの高級食材の使用が黙認されている上に、生徒のみならず生徒会長や教師、果ては校長やら理事長までもが差し入れ常習者となっているのだから、今後も料理部のこの恒例が中止になることはないだろう。

そして本日。

調理台に置かれているのは高級果物としても有名な水蜜桃。
1玉1000円はすると言われている桃が、目の前には20個並んでいる。
大降りの白い桃は見るからに美味しそうで、周囲に漂う甘い香りもまた食欲をそそる。
そんな極上の食材を前にすれば、いつものならば目を輝かせて料理にとりかかるところであるが、何故か今日のの表情は晴れない。
どこか難しそうな顔をして目の前に並ぶ桃を眺めている。

別に出所が不明なわけではない。
この桃は親戚が果樹園を営んでいるというバスケ部部長からの差し入れであり、その本人は今の目の前にいるのだから。

「…困ったわね」
「う〜ん…」
「こんなはずじゃ…」

明るいとはお世辞にも言えない朱夏と、そしてバスケ部部長の反応に、その他の部員も言葉がない。

それもそのはず、このいかにも美味しそうな桃にはさすがのすら躊躇ってしまうほどの致命的な欠点があったのだ。

味見と称してカットされた桃を一口含んで、は何とも言えない顔をした。
周囲に漂う甘い香り、口に含めば濃密な甘さが広がると想像に難くないその白い桃は、だが外見に反して味がなかったのだ。
甘さが足りないというレベルではない。
まったくの無味なのだ。
果汁も多いし香りもいい、完熟に見えるその皮は手で簡単に向けるほど熟れているというのに肝心の味がまったくないのだから、でなくても首をひねるというものだ。
ましてや無類の果物好きのである。その中でも桃は大好物であり、これを貰った時のの笑顔は素晴らしいものがあった。
通常ならば差し入れてもらった食材が多少期待はずれであってもの腕でカバーできるのであるが、さすがに今回の落差は大きかった。
まったく甘みのない果物をそのままタルトに使用するわけにはいかず、下手に甘みをつけて桃本来の食感を台無しにしたくないし、かといって折角差し入れてくれたものを料理しないというのは料理部の主義に反する。

「どうしよっか?」

朱夏が困ったように首を傾げれば、は先程から何やら考えモードに入っているらしく、気のない返事しかかえってこない。
朱夏とて料理部の部長を務めているのだから、ほどではなくてもそれなりに腕には自信がある。
だが、やはりの方が朱夏よりも豊富な知識があり、よほどのことがない限りメニューに関しては口を出さない。
朱夏はもう一欠片桃を口に入れる。
鼻腔をくすぐる甘い香りは十分なのに、面白いくらいに味がない。

「ここまでくるともう見事としか言えないですよね」

桃の出来は天候に左右される。
今年は雨が多かったせいか、例年に比べて明らかに日照時間が足りなかった。
果物や農作物の出来が悪いとは聞いていたものの、実際目の当たりにしてしまうとどれだけ天気というのが大事なのかよくわかる。

「申し訳ない…」

の果物好きを知っているバスケ部部長はいたたまれないといった様子でうなだれている。
特別な感情を抜きにしても、が喜ぶ姿というのは見てみる者も幸せになるようなもので、自他共に認める小動物好きのバスケ部部長にとって、の笑顔は非常に貴重なものなのだ。

「俺が事前に味見しておけばこんなに持ってきたりしなかったのに…」
「あ、別に先輩が悪いわけじゃないんですよ。だって誰も天気は変えられないんですから」
だが、朱夏が言うように彼が謝ることではないのだ。
自然の恵みは天候に左右されるものだし、彼だってまさかここまで味がないとは思っていなかったのだから。
それはにも朱夏にもよくわかっている。
だからこそ何とかしてこの桃を利用しようと考えているのだ。


「あ、何とかなるかも」

不意に響いた声に顔を向ければ、先程までとはうってかわって機嫌のいいの姿があった。

「お砂糖はあるし…アセロラジュースもあるでしょ…寒天と生クリームも卵もあるし…うん、大丈夫」
?」
さん?」

指折り数えて何やら頷いていたに怪訝そうに声をかけると、はにっこりと笑って言った。

「先輩、朱夏ちゃん。大丈夫、十分美味しいお菓子作れるよ」

自信に満ちたの笑顔。
普段のの「大丈夫」という言葉ほど当てにならないものはないが、こと料理に関してだけは信じられる。
そして、朱夏の信頼は今まで裏切られたことはなかったのだ。



◇◆◇◇◆◇



メニューが決まってからの料理部の行動は機敏だった。
あっというまに完成していく洋菓子の数々に事の成り行きを不安げに見守っていたバスケ部部長の目も見開きっぱなしである。
綺麗な器に並べられていく焼き菓子の数々、透明なグラスに注がれていく薄桃色の飲み物や涼しげなコンポートなど、どれも見るからに美味しそうである。
の手によって味のない桃は見る間のうちにその形を変えていく。
それはまるで魔法のように。

「はい、完成」

が楽しそうにそう言えば、周囲からはぱちぱちと拍手が聞こえてくる。
それもそのはず。
どうあっても何の利用法もないだろうと思われた味のない桃は、の手によって見事な変貌を遂げていたのだ。

「『桃のコンポートアセロラゼリー添え』と『白桃のカスタードタルト』と『3種の桃のタルト』でしょ。あと『桃とオレンジのムース』とドリンクは『桃のベリーニ風』ってところでしょうかね」
「ベリーニって確かカクテルじゃなかった?」
「そう。でも未成年だからスパークリングワインの代わりに炭酸ジュースを使ったの。少しだけシロップで味つけてあるから甘いけどさっぱりしてると思うんだ。タルト用の桃もコンポートしたりカスタードに刻んで混ぜたりしてるから甘みがなくても気にならないしね」
「さすが。偉いぞ」
「えへへへ」

の発想はもはや中学生レベルではない。
臨機応変に対応できるだけのレシピが頭にあるからこそできる業だ。
勿論味も文句なく美味しい。
それは素材の味を知っているものから見れば格段に美味しいもので、料理部部員とバスケ部部長は、改めての料理の腕前に感嘆するとともに目の前に並んだスイーツに舌鼓を打ったのである。


  • 07.08.11