「きゃあっ!!」
放課後の部室。
ミーティングが終わり数人がコートへと向かおうと立ち上がった時、その声は響いた。
事の起こりは今から10分前。
きちんと整頓された部室の中で何やら探し物をしているの姿があった。
周囲をきょろきょろと見回しながら眉を顰める姿は間違いなく困っているのだろうが、今はミーティングの真っ最中。
そんな様子を気にしつつも、テニスにかけては人一倍真面目な部長がにらみを利かせているために手を貸すことができないでいた。
そしてそんなが視線を定めたのが、ロッカーの上にある直径30cmほどの段ボール。
一瞬にして目を輝かせたの様子から考えても、彼女の探し物がそこにあるのは間違いなく、だが彼女がどんなに頑張っても、150cmを少し上回っただけの身長では2メートルはあるロッカーの上に積まれた荷物を取るのは不可能だ。
背伸びをしても目的のものは取れないと判断したのだろう。
目の前に自分よりもはるかに背の高い男子がごろごろといるのにも関わらず自身の力で処理しようとするのは、マネージャーとしての責任感が強い彼女の性格ならば無理のないことで、その行動は決して悪いものではない。
だが彼女が使用した椅子はキャスター付きの回転椅子。
お世辞にも運動神経が優れているとは言えないがそんなバランスの悪い椅子の上に立って無事でいられるかと言えば、結果は火を見るよりも明らかだ。
荷物を取るのにキャスター付きの椅子を使えばバランスを崩す確率はかなり高い上に、そうなれば反射神経の乏しいが無事に逃げられるはずはないと周囲の誰もがわかっているのに、当のだけが気付いていない。
ミーティング中に跡部の背後で危なっかしそうに作業しているの姿にその場にいる誰もが心中穏やかではなかったのだが、何とかミーティングが終わるまでは無事だったらしい。
間もなく来るであろう事態を予測してロッカーへと移動していた矢先で、両手に段ボールをしっかりと掴んだまま背後にひっくり返りそうになっていたを難なく捕まえたのは、の性格を知り尽くしている上に、の行動パターンも知り尽くしてしまっている長太郎だった。
自分よりも30センチは軽く下回る身長のを支えるのは長太郎にとっては難しいことではなく、むしろ毎回のようにを支える役を担っている長太郎にしてみれば抱きとめるタイミングも仕草も明らかに手馴れたもので。
背中から倒れそうになっていたを背後から抱きとめて、次いで頭上から落ちてきた段ボールを片手で軽く受け止めた姿勢のまま腕の中のの様子を見る視線は、優しいながらも多少の呆れを含んでいた。
「さん…」
「あ…あれ?」
「あれ、じゃなくてさ。いい加減認めようよ。危ないんだから」
「う…気をつけます…」
「まったく、俺だっていつも助けられるわけじゃないんだよ」
「うん、いつもありがとね」
「いや…そうじゃないんだけど…あぁもう…いいよ」
背後から腰を抱きしめるように回された逞しい腕に安心したようにもたれかかって、頭上で眉を顰める長太郎に笑いかける様子は明らかに慣れていて。
そんな――とんでもなく密着した状態にもかかわらずと長太郎に照れた様子が一向に見られないのは、別にこの2人が恋人同士だからでも男として意識していないわけでもない。
長太郎が支えている段ボールがなければ、見るものが見ればいちゃつく恋人同士の姿にしか見えないものの、自身はこの体勢が周囲にどのような誤解を招くか気付いていないだけである。
何しろ出会ってから1年と少し、運動神経と行動力が伴っていないのフォローが日課のようになっているために、2人にしてみればこういう体勢は決して珍しいものではない。
勿論男として長太郎が毎回美味しい思いをしていることは確かなのだが、それを言葉にするほど愚かではない。
「はい、これ」
「ありがとう」
落ちてきた段ボールを渡せば、は嬉しそうにそれを抱えたまま部室を出て行く。
大きさのわりに重量の軽かったそれは、おそらくは新しいタオル。
確か先週買い備えていたもので、置く場所がなかったために手近にあった空き箱につめてロッカーの上に置いたのは、長太郎自身だった。
確かその時も一人椅子を持ち出して段ボールと格闘しているを見るに見かねて手伝ったような気がする。
「学習しないんだよなぁ」
軽い足取りで水飲み場へと歩いていく――何しろ走るなと部員全員から厳しく言われているので――の後ろ姿を苦笑しつつ眺めていた長太郎がぽつりと呟けば。
「おまえもな」
妙におどろおどろしい声が2つ返ってきた。
振り返れば恨めしそうというだけではすまないほどの渋面を浮かべた2人の姿に、長太郎は思わず一歩後ずさった。
「なーんや、自分一人だけええ思いしてはるな」
「え?」
「何だよあのジェントルマンみたいな助け方」
「ええ!?」
「随分手馴れてたみたいやし」
「をぎゅっと抱きしめておきながら礼なんか言われちゃってさ」
「まるっきり2人の世界やなぁ」
「先輩達を差し置いてなぁ」
恐ろしきは男の嫉妬。
がマネージャーに就任する前から彼女を気に入っていた忍足と岳人は、初日の試合内容のせいでの評価は他の部員に比べて明らかに低い。
最もそれで差別するようなではないが、跡部や宍戸に対するよりもどこか遠慮が見えるのは紛れもない事実で、どうにかして面目躍如しようと日々精進しているところなのである。
なのに、肝心の事態で行動を起こすのは決まって長太郎で、これではと親密を深めることなど不可能に近い。
間もなく合宿だというのにこのままでは楽しい思い出など作れないではないか。
どこか湾曲した不満がぶつかるのは、当然のことながらマネージャーであるにではない。
「いっつもいっつも美味しい思いしやがって…」
「あのですね、先輩方…」
別に長太郎が2人の邪魔をしているわけではない。
2人が必死にへの印象を変えようと頑張っているのは知っているが、如何せん身に付いた習性を簡単に消せるはずがない。
だが、長太郎の弁解を聞く2人ではなく。
「「グラウンド30周や(だ)っ!!」」
どこかの学校の部長のような声が部室に響いたのは、それからすぐだった。
- 07.06.16