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夢を見た後で


その日、朝からは上機嫌だった。
普段からにこにこと笑顔を絶やさないではあるが、今朝はまた一段とその笑顔が輝いているように見えるのは気のせいではないだろう。
放課後の練習は週に1度の料理部の部活のため休みのためか、朝早くから洗濯に部室の掃除にと余念がないは、正レギュラーの散らかした部室をてきぱきと片付けている。
勿論コートの準備もぬかりなく、休憩に入ったレギュラーのためにドリンクとタオルの用意も忘れてはいない。
小柄な身体で大量の洗濯物を抱えている姿はどこか危なっかしく、どこか手を貸してしまいたくなるのだが、実際の彼女は意外にもしっかりしているので下手に手を貸そうとすれば、やんわりとどころかぴしゃりと断られてしまうのだが。

「だって、これはマネージャーの仕事でしょ」

以前にも大量の洗濯物を抱えてよたよたと歩いているに長太郎が手を貸そうとしたのだが、そう言われてきっぱりと断られてしまった。
半ば強引にマネージャーにされたではあったが、どのような形にせよ一度引き受けた仕事を中途半端にすることはできないのだろう。

それに、家事万端のとは違い、長太郎達は普段から家事などやりなれていないために、致命的な欠点があった。
それは手際の悪さだ。
部活動という短い時間の中で、マネージャーとしてがする仕事は沢山ある。
他の運動部では2,3人のマネージャーが通常であるのに、テニス部には1人である。それなのにテニス部の運動量は他の運動部の比ではなく、結果としての仕事は一見1人でこなすには不可能なほどある。
だがは時間内にきちんと仕事を終わらせるだけでなく、翌日の準備も終わらせている。
それはの素晴らしい手際の良さによるもので、下手に手を貸そうものなら却って足を引っ張ることになりかねない。
何よりも、が嬉々として動いているので邪魔できないのだ。

本日も見事な手際の良さで自らの仕事を完璧に終了させたは、普段よりも少し浮かれた足取りで教室へと向かっていた。

「機嫌いいよね」
「え?うん、まあね」
「何かいいことあった?」

テニスコートから教室までの道を歩きながら、普段よりも2割増で笑顔を振りまいているに、とうとう胸に秘めておくことができなくなった長太郎が訊ねれば、返ってきたのは嬉しそうな笑顔と肯定の言葉。

「ものすっご〜くいいものをもらったの」

にこにこと微笑む姿は本当に嬉しそうで、彼女をここまで喜ばせるものとは一体なんだろうと長太郎は疑問を抱く。

「見たい?見たいでしょ」
「あぁ…うん、まあ…見たい、かな」

何だか非常に浮かれている様子のに、長太郎が適当に相槌を打つと、は持っていた紙袋から何やら取り出して長太郎の前に差し出した。
鮮やかな赤い色。
レモンほどの大きさのそれは、長太郎もよく知っているものだ。
特に珍しいものではない。
いや、サイズ的には一般的によく目にするものに比べれば確かにサイズ的には珍しいのだが。
長太郎の家でも時々見かけるそれは…。

「アイベリー?」
「そう。昨日家に沢山届いたの」

きらきらと目を輝かせるその姿は本当に嬉しそうで、見た目よりもしっかりしているのに全然そう見えない所以は、この子供のように無邪気な笑顔のせいかもしれない、などと関係ないことを考えてしまう。
の持っていた紙袋には、レモンサイズのアイベリーが大量に入っていた。
その数、20は軽いだろう。
普通サイズの苺も1パックあったが、アイベリーの傍にあると野苺ほどの大きさにしか見えない。

「今日はこれで苺のケーキを作るんだ

苺の中でも高級品と言われるアイベリーを惜しげもなくケーキに使うという、その大胆さに一瞬言葉をなくしてしまうが、元より料理が好きなのこと、そのまま洗って食べるという選択肢がないのがいかにも彼女らしい。

「じゃあ、この小さいのは飾りなんだ」
「うん、でもこっちもアイベリーだって。小さいのもあるみたい。ちゃんと甘いんだから。ほら」

そう言いながら目の前に小粒の苺を差し出されて、長太郎は少し考える。
今、目の前では明らかに「はい、あ〜ん」という態勢になっているの姿。
荷物を持っている長太郎を気遣っての行動であると思われるが、確かに片手は荷物で塞がっているが、もう片方の手はしっかり空いているわけで。
周囲に人の姿が少ないとは言っても、それでもここは学校の敷地内(しかも正面玄関前)で、教室の窓から丸見えの状況である。

おそらくは本当にまったく何にも考えていない故の行動なのだろうが、年頃の少年としてこのシチュエーションは非常に美味しいかつ少々困るものがあった。
何しろ背後には曲者ぞろいのテニス部正レギュラーの面々。
恋愛感情など抱いていないくせに、何故かが長太郎と仲良くしていると厳しい洗礼を喰らわしてくれる忍足を始め、を妹のように可愛がっている連中がいるのだ。
今もの行動におそらくは慌てふためいているだろう先輩達の様子が手に取るようにわかる。
長太郎とて馬鹿ではない。
この後の行動如何によって自分がどのような立場に置かれるか、分からないわけではない。

の好意はありがたいけど、さすがにそれは色々とよろしくない。
長太郎が目の前の苺を受け取ろうと手を動かそうとしたその時。

「嫌い、だった?」

小首をかしげて不安そうに見上げてくるその姿に、気がつけば目の前の苺を口に含んでいる長太郎がいた。

「甘いね」
「でしょ。今日はこれでタルトとショートケーキ作るから、楽しみにしててね」

背後にとんでもなく鋭い視線が突き刺さってくるのをひしひしと感じるが、きっぱりはっきり無視することにした。



放課後のメニューが長太郎のみ苛烈を極めたのは言うまでもない。


  • 07.01.13