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Sweet Diamond


「それじゃあ、そこにドリンクが用意してあるから」
「うん。これがスコア表ね。対戦結果とか色々書けばいいんだよね」
「そう。わからないことあったら俺でもここにいる誰でもいいから聞いて」
「多分、大丈夫だと思う。前にもしたことあるから」

ベンチの前で備品の説明やマネージャーの仕事内容を説明しているのは長太郎である。
初対面に近い氷帝正レギュラー勢は、と会話できるチャンスとばかりにこの役を立候補していたのだが、自らの指名とあっては彼らもどうしようもない。
にしてみれば、跡部や宍戸ならともかく他の正レギュラーは話したこともない人ばかりであり、学校内でも有名なテニス部正レギュラーに備品の説明などしてもらうのは申し訳ないという気持ちだったのだ。
顔なじみの長太郎に説明を頼むのは無理もないことだろう。

「備品はどこにあるの?」

と、がちょんちょんと長太郎の袖を引っ張って説明を頼んだのを見て、正レギュラーの鋭い視線が長太郎に注がれたのをは知らない。

「えっと、テーピングは揃ってるでしょ。絆創膏と冷却スプレーもいいとして…後は、ガーゼと消毒液…あれ?」
「何か足りない?」
「うん、消毒液が残り少ないかな」

持ち上げたボトルを軽く振ってみると、わずかな液体の音がする。
使わないにこしたことはないのだが、試合となると怪我が皆無というわけにはいかないだろう。

「買いに行ったほうがいいかな…」
「大丈夫。念のため持ってきたから」

がさごそと持参したバッグの中身を探り、そこから巾着型のポーチを取り出した。
その中から数個のボトルを取り出す。

「消毒液と湿布と包帯と…これくらいで平気かな?あとは足りそうだし……あっ」

バッグの中から小さなタッパーと水筒を取り出して長太郎に渡す。

「レモンの蜂蜜漬けとアセロラジュース。疲労回復にいいかなと思って作ってみたの」

にっこりと微笑まれて長太郎は唖然とする。
臨時のマネージャーを頼まれたのは昨日のことだ。
同学年の、それも仲のよい長太郎が頼んだのでは、おそらく断られてしまうだろうということから、宍戸にマネージャーの件を依頼させて、彼女が断りにくい状況に仕向けてのマネージャー依頼。
突然の願いにも関わらず、快く引き受けてくれただけでもありがたいのに、その上差し入れやドリンクまで用意してくれるとは思わなかった。

ましてやは今回限りの臨時マネだと信じているが、先輩達が彼女をこのままマネージャーとしてテニス部に引きずり込もうとしているのは明白だ。
普段なら彼らの悪ふざけには跡部が部長の権限で却下するのだが、今回はその跡部すら乗り気なのである。
こんなに甲斐甲斐しく用意されてしまうと、逆に申し訳ない。
長太郎が複雑な顔をしているのがわかったのだろう、が不思議そうに首をかしげた。

「どうしたの?レモン嫌いだった?」
「いや、そうじゃないよ。…悪いなと思ってさ」
「何が?」

きょとんとした顔で長太郎を見上げるは、本気で長太郎の言葉の意味がわからないらしい。

「だってさ、大変だったろ。マネージャー急に頼まれたんだし…それなのにこんなに気を遣わなくてもいいのに…」
「別に遣ってないもの」

何となく後ろめたい気持ちの長太郎がぼそぼそと呟くと、はあっさりと言い切った。

「だって、マネージャーでしょ。別に私が試合するわけじゃないし。備品だって男所帯なんだから多分足りないものあるだろうなぁって思ってたし、料理は私の趣味だから沢山作れてむしろ楽しかったし」
「でも、大変じゃない?」
「無理なことはしてないから平気。できなかったらちゃんとそう言うし。大体ね、レモンの蜂蜜漬けなんて1分で作れちゃうのよ?切って蜂蜜に漬けるだけ。それが大変だったら、とてもじゃないけど料理なんてできないじゃない」
「はあ…」

長太郎の言う「大変」の意味は、別にレモンの蜂蜜漬けだけに限ったことではなかったのだが、あまりにもあっさりそう言われて返すことばをなくしてしまう。

「それとも、余計なお世話だった?」

しゅんとした顔でそう言われて、長太郎は慌てて両手を振った。

「とんでもない!すっごく嬉しいよ。ありがとう」
「ならよかった」

が安心したようににっこりと笑う。
それにつられるように長太郎の顔にも笑顔が戻る。
2人で顔を見合わせてにっこりと笑っている図は、教室では珍しくないことだが、今回は場所が悪かった。
ただでさえ彼女と話しかける機会を失った3年生が、その様子を面白く思っているはずがなく、ウォーミングアップと称して軽く打ち合いしていた忍足・向日ペアのところから、長太郎目掛けてボールが飛んできた。

「痛っ!」
「堪忍、長太郎。手が滑った」

滑ったという割には、抜群のコントロール力を見せて長太郎の背中にヒットしたボールを取りに走ってきた忍足は、くっきりとボールの跡が残ったジャージの背中を左手で払った。

「えろう悪かったな。岳人の奴コントロールが悪うてかなわんわ」
「いや…大丈夫ですから…」

砂を払う程度ではない力の加減で背中を叩く忍足の視線は厳しい。
これは本気で機嫌が悪いかもしれないと、長太郎が背筋に冷たいものを感じていると、が足元にあるボールを拾い上げて忍足に差し出した。

「はい、どうぞ」
「サンキュ。突然やったのにマネ引き受けてもろてありがとさん」
「いいえ、簡単なことしかできませんけど、試合頑張ってくださいね」

にっこりと邪気のない笑顔に、忍足はつられて笑顔になる。
どうやら彼女の笑顔は、見ているほうもつられてしまうようだ。
先程の長太郎に向けたのと変わらない笑顔。
それはごく自然に浮かんだもので、日頃黄色い声援や媚びた笑顔を向けられることの多い忍足には却って新鮮だった。
小さな身体のせいか、じっと見上げる大きな瞳は、まるで小動物を思わせる無邪気さだ。
忍足は思わず手のひらでの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
片手で掴めそうなほど小さな頭。
触れた髪は想像通り艶やかで、そのうえ予想以上に触り心地がよかった。

「忍足先輩?審判の方が呼んでますよ」
「ん?あぁ、おおきに。そんじゃ、応援よろしゅう」
「はい。行ってらっしゃい」

ぱさり、と差し出されたジャージを受け取って、は笑顔で忍足を見送る。
通り際、長太郎の肩を掴んで、その耳元にそっと何か囁く。
長太郎が驚いたように目を見開き、忍足はそんな長太郎の肩を軽く叩いてコートへ向かっていった。

「何話してたの?」
「いや、大したことじゃないよ……」

そう答えて、長太郎はベンチへと腰を下ろした。
納得いかないようにわずかに首をひねりながらも、ベンチに座りスコア表を手にするを横目で見ながら、長太郎は気付かれないようにため息をついた。

『彼女、ええ子やな。気に入ったで』

2,3言話しただけで、忍足に気に入られてしまった様子の
どうやら彼女がテニス部から解放される可能性は、限りなく低いようである。


  • 06.02.07