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密かでない企みごと


授業終了を告げるチャイムが鳴り響き、それを聞いた多くの生徒が売店や学食に足を運ぶ中で、長太郎は浮かない表情のまま自分の席から動こうとしなかった。
机に肘をついたまま、ぼんやりと窓の外を眺めている。
その姿は授業中とまったく変わらないまま。開かれたままの教科書を閉じようともせず何かを思案するように空を流れる雲を見るともなく視線で追っている。
この様子では授業が終了したことも気付いていないかもしれない。
昼食はテニス部の先輩達と一緒に摂っている長太郎は、その律儀な性格から先輩達を待たせるようなことがあってはいけないと、毎日授業終了と同時に彼らが昼休みに集まる屋上へとすぐに向かっているのだが、そのことすらすっかり忘れているようである。

(困った……)

大きなため息をついて、長太郎は心の中で呟いた。

事の起こりは昨日の放課後。
長太郎が教室に忘れてきたタオルを、隣の席のが部室に届けてくれた。
それが発端だった。
本人は気付いていないが、は多くの男子生徒から人気がある。
明るく裏表のない性格のせいだろう、男子生徒のみならず女子生徒からも慕われているは、あろうことかその笑顔で曲者揃いのテニス部員をも魅了してしまったのだ。

『彼女をテニス部のマネージャーに勧誘しよう』

だが、長太郎は今までの付き合いでがマネージャーという業務に興味がないことを知っている。
そして無理強いのできる性格ではないこともよく知っていた。
何しろは一見ぽやぽや〜んとしているように見えるが、その外見に反して自分の意見をしっかりと持っているので、他人の意見に流されるということがあまりない。
自分が出来る範囲の協力は喜んでしてくれるが、無理ならきっぱりと断る。
その代わり一度約束したことは決して破らないという、実にさばさばとした性格の持ち主なのだ。
そんなに興味がないマネージャーという激務を引き受けてくれるとは思えない。
そのため長太郎は無理だと何度も言ったのだ。
先輩から必ず勧誘してくるようにと厳命されては、いくら長太郎でも否とは言えない。
普段どれだけ先輩後輩の枠を超えて仲良くしているからと言っても、体育会系の上下関係は絶対なのだ。
どうにか話を切り出そうかと考えてはいるものの、上手く言葉が出てこない。

長太郎はまたもやため息をついた。

長太郎の気分が乗らないのは、他にも理由がある。
それは1年生の頃、今と同じような状況があったのを知っているからだ。
もっとも勧誘作戦に出たのは、テニス部ではなくて野球部だったが。
当時の野球部のエースがに一目ぼれをしたらしく、彼女が傍にいたら練習にも身が入るからマネージャーになってほしいと懇願されたのだ。
毎日のように部員は勿論部長自らのもとに足を運びしつこく勧誘された。
果てには顧問まで頭を下げる始末で、辟易したは親友の所属する料理部の特別講師という座に収まってしまったのだ。
あの時の騒動は忘れることができない。
多くの人からどんなにしつこく勧誘されようとも、は首を縦に振らなかった。
自分を気に入ったからという単純な理由でマネージャーにしようという考えが我慢できないと、は言った。
そんな不純な動機でマネージャーにされてはたまらない。真面目に練習している人に対して失礼だと珍しくが怒り、その後しばらく野球部員とは口を利かなかった。
元凶のエースにいたっては未だに挨拶以外の言葉を交わそうともしない。
今回の自分達も、まさに彼らと同じような理由からをマネージャーに勧誘しようとしているので、長太郎は正直言って乗り気ではなかった。
もしこれが原因でに嫌われてしまったら、先輩達を恨んでしまいそうだ。
だが、先輩命令を無視するわけにもいかず、長太郎は頭を抱えてしまった。

「あ〜、困った…」
「何が困ったの?」

独白に答える声があって顔を上げると、至近距離にの顔があった。
間近で見つめる綺麗な瞳に、思わず椅子からずり落ちそうになるくらい驚いた。

「うわっ!?さん!?」
「あら、すごい驚きよう」
「び、びっくりするよそりゃ。何?」
「何って…いいのかなって思って」

きょとんとした顔で見上げられて長太郎は首をひねる。

「何が?」
「だって、もうお昼休みなのに教室にいるから。屋上行かなくていいの?」
「嘘!?」

が長太郎に見せるように腕時計を掲げる。
白い腕にある時計の文字盤に目をやると、昼休みに入ってからすでに5分が経過していた。

「………」

授業終了のチャイムすら気付かなかった。
そういえばと周囲を見渡すと、教室の人口も減っている。
すでに売店や学食に行ってしまったのだろう。

「ヤバッ!早く行かないと!!」

慌てて弁当を手に立ち上がると、がくすくすと笑いながら紙袋を差し出した。

「何?」
「レモンのムース。さっぱりしてるからデザートにどうぞ」
「ありがとう」
「後で感想聞かせてね」

料理が好きなは頻繁に何かを作ってきては、長太郎に差し入れしている。
勿論食後の感想を聞くことも忘れない。
長太郎の味覚は確かなのでも勉強になるし、何より美味しい料理を食べられるということで長太郎にとっても願ったりだ。
それを受け取ると、長太郎は大急ぎで屋上へと向かった。




当然の如く、屋上には長太郎以外全員揃っていた。

「遅えぞ」
「すみません、ちょっと…」

頭を下げ空いている場所に座ろうとしたら、忍足に手招きされた。
自分の隣を指差すということは、もしかしなくてもここに座れということなのだろう。
それが何を意味するか分かっているため、できれば彼から離れた場所に座りたかったのだが、呼ばれてしまっては逃げることなどできない。
彼らに気付かれないように小さくため息をつくと、観念して忍足の隣に腰を下ろした。
反対側は岳人で、見事にダブルス1に挟まれてしまった。
消化によくなさそうだなと思いながら、母親の用意してくれた弁当を食べ始める。

「で、どうなん?」

アスパラの牛肉巻きを箸に取ったところでそう聞かれて、長太郎はげんなりとした。
普段なら美味しく感じる食事が喉を通りにくいのは無理もないことだ。

「…まだ言ってません」
「えー!?何のためのクラスメイトだよ。ちゃっちゃと頼めよそんくらい」
「そうや。『マネージャーになって』でいいやん」
「簡単に言いますけどね。そんなこと言ったら『無理』って一言で切り捨てられますよ」

しかも、あの笑顔で言われるに決まっている。
そうなるとしつこく勧誘してもすべて逆効果なのだ。

「泣き落としとかやってみそ?」
「向日先輩がやってくださいよ」
「俺キャラじゃないC〜」
「ジロー先輩の真似しないでくださいよ」
「色仕掛けとかどう?」
「あ、それいな。侑士やれよ」
「そんなことしたら嫌われますよ、確実に」

そう言うと忍足が少し意外そうな顔をした。

「俺が迫って落ちひん女はおらへんよ?」
「ですから、彼女はそういうタイプとはまったく違うんですってば。ちなみに、彼女は滅多に人を嫌いになりませんけど、一度嫌いになったら挨拶以外口きいてくれませんよ」
「…それや嫌やな」
「ちぇ〜」

「お前らさっきから何話してんだ」

それまで静かに食事を摂っていた跡部が、箸を置いて不機嫌な視線を向けた。
この場所にいて昨日の部室にいなかったのは跡部と樺地、そしてジローの3人だけ。
事情が分からなくても無理はない。
樺地は相変わらず無表情で関心があるのかどうか不明だし、ジローはとっとと食べて食後の睡眠中なので会話は聞こえていないだろう。

「そっか、跡部いなかったんだ」
「勿体なかったな、跡部。あの笑顔見られなくて」
「あ〜ん?何言ってんだテメエら。とうとう頭いかれちまったか?」
「むかっ!くそくそ跡部!相変わらず口悪いな!」
「まあまあ岳人。少し落ちつきや」
「あのさ、跡部。美人マネージャー欲しくない?」
「……はぁ?」

唐突な滝の言葉に、跡部が怪訝そうに眉を顰める。
テニス部に女子マネージャーを入れないという暗黙の了解があるのは、正レギュラーなら誰でも知っていることだ。
何を今更言ってるんだという顔をする跡部の肩を忍足が掴んで引き寄せる。

「鳳のクラスにめっちゃ可愛い子おんねん」
「それがどうした」
「俺ら気に入っちゃったんだよね、彼女」
「仲良くなりたいんだ」
「ということで、是非テニス部のマネージャーになってもらおうと…」

「馬鹿かおまえら」

岳人の言葉を遮って、跡部はあっさりと切り捨てる。
マネージャーという仕事は甘くない。
正レギュラーに近づきたいというだけのミーハー女には到底務まらないし、そんな騒々しい女に傍にいられるのは練習の邪魔以外の何者でもない。
実際部員の交代制でマネージャー業をこなしているのだから、特に今マネージャーを入れる必要性もないだろう。

「うちにマネージャーはいらねえだろうが」
「いや、必要や」
「可愛い女の子に応援されれば、やる気も出るっしょ」
応援なら腐るほどいるだろうが」
「そういうのじゃないんだってば!」
「でもまあ、正直なところマネージャーは必要だと思うよ」

滝が優雅にお茶を飲みながらそう言う。

「自分のことは自分ですると言っても限度があるしさ、交代制でマネージャー代行するとその分彼らの練習量が減るし。口には出さないけど彼らだってもっと練習したいはずだし、そういう後輩の気持ちを思いやってあげるのも先輩として部長としての務めだと思うよ」
「だからって仕事もできないような女をマネージャーにするわけにはいかない」
「あ、それは大丈夫。長太郎が言うにはすっごく面倒見がいいみたいだから」
「問題は彼女がマネージャーを引き受けてくれるかどうかわからないこと」
「だからそれは長太郎の腕にかかってるってことで…」
「ですから、それが難しいんですってば」

どうやら彼らは本気のようだ。
今までの練習でも滅多に見られないような結束力に多少呆れながらも、跡部は諦めたようにため息をついた。
誰だか知らないがこの面子に見込まれた以上、その少女がマネージャーになるのも時間の問題だろう。
あまり賛成はできないが、仕方ない。
どうしても気に入らなければ入部した後でクビにすればいいだけの話だ。

「ま、せいぜい頑張るんだな」
「ということで。跡部の許可も下りたことだし、頑張れよ長太郎」
「だから…!」
「ちょお待てや、岳人」
「?」
「鳳はちゃんと友達やし情に訴えれば上手くいく思うたんやけど、この様子やとそれも無理かもしれへんし、俺らが直接動いた方がええかも知れへん」
「何か作戦でもあるのかよ」
「ふふふ。忍足さんを舐めたらあかんで」
「ところでそのマネージャー候補、何て名前なんだ」
さんって言うんですけど…」

長太郎がそう言うと、跡部がわずかに反応した。

「ふ〜ん…。ま、あいつならいいんじゃねえの」
「え?跡部さん、さんを知ってるんですか?」
「確かにあいつなら適任だろう。よし、俺が許可する。お前ら必ずをマネージャーに勧誘しろよ」
「よっしゃあぁ!任せろ!」

長太郎は知らない。
跡部とが以前保健室で出会い、跡部が彼女のことを気に入ったことを。

本格的な騒動まで、あと数時間。


  • 05.08.22