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The First Step


「今日も料理部の手伝い?」

いそいそと教科書を鞄に詰めていくを見て、長太郎が何となくそう訊ねた。

「そう、今日はトマトづくしなの。トマトの冷製カッペリーニとペンネ・アラビアータ、チキンのトマト煮でしょ。それからラタトゥユもいいなぁ。確かフルーツトマトもあったから、それでデザートを作るのもいいかも」

そう答えるは本当に楽しそうで、どれだけ料理が好きかわかる。
毎週料理部の部活動に参加しているではあったが、実は料理部に所属しているわけではない。
母親が著明な料理研究家で本人の腕前もプロ並みということもあって、その実力を見込んだ料理部の部長に週に一度だけ特別講師として参加してもらっているのだ。
料理部の部長がの親友であるということと、講師を受けるということは料理の腕を磨くいい機会であるということもあって、はそれを二つ返事で引き受けた。
が講師を引き受けてからというもの、料理部には食材を差し入れる人が急増している。
教師や他の生徒、果ては高等部の先輩達から差し入れられる食材は、文化部で決して多いとはいえない予算でやりくりしている料理部にとって非常にありがたいことである。
勿論頂いた食材は有効に利用させていただいている代わりに、お礼として完成した料理を自らお届けにあがっている。
最近では、そのお礼を目当てに差し入れ希望者が急増しているらしい。
女子生徒は主に菓子の材料となる果物類を、男子生徒はボリュームのある肉や野菜を、そして教師達は高価な食材といった感じだ。
男子生徒はお礼の料理というよりも、が自ら自分のもとへやってきてくれることを目当てにしているようである。
小柄で可愛い上に優しく家庭的なは、実はかなりの男子生徒から人気があるのだが、当然はその事実を知らない。

「今日の差し入れはどこから?」
「今日は馬術部の先輩から。親戚が無農薬野菜を作ってるとかで、時々持ってきてくれるの。パスタが好きって前に聞いたことがあったから、トマトソースも作っておこうかな」

確かまだバジル残ってたはずだし、と呟くを長太郎が微笑ましそうに見る。
長太郎とは席が隣同士なので、クラスでもかなり仲がよい。
さらにの親友である朱夏と長太郎は、家が近所で幼稚舎からずっと同じクラスというくされ縁なので、自然と3人で行動することが多い。
多くの男子生徒にとって長太郎のポジションは羨ましい限りなのだが、生憎と長太郎はそのポジションを他人に譲る気はないようである。

「いいお嫁さんになりそうだね」
「そう?ありがと」

お互い顔を見合わせてにっこりと微笑む。


「あ〜、チョタがを口説いてる〜」

いつの間に近づいたのか、朱夏が2人の間にひょっこりと顔を出した。
気の強そうな口元に笑みを浮かべながら、にやにやと長太郎を見る。

「何のこと?」
「またまた〜、誤魔化さなくてもいいじゃない。さっき僕のお嫁さんになってほしいって言ってたじゃん」
「はい?」
「いや、言ってないから」
「でも、駄〜目。はあたしが認めた人じゃないとあげないから」
「だから言ってないってば」
「ムキになって否定するところがあやしい」
「ムキになってないし…まったく」

呆れたようにため息をついて、長太郎は何気なく腕時計に目をやった。
のんびりと話していたら、部活の開始時間が迫っていた。
いくら正レギュラーだからといって、先輩達よりも遅れて行くことはよくない。
実力主義とはいっても、一応体育会系なのだ。
そのへんの礼儀は忘れてはいけない。

「やばっ、急がないと」
「頑張ってね」

そう言って手を振るに軽く返事をして、長太郎は大慌てで鞄を掴んで教室を後にした。
去っていく後ろ姿に呑気に手を振って見送ると、は朱夏に向き直った。

「朱夏ちゃんは鳳君をからかいすぎ」

両手を腰に当ててそうたしなめるに、当の本人はまったく悪びれた様子を見せない。
ぺろりと舌を出して肩をすくめただけだ。

「だって、あいつ反応がいちいち可愛いんだもん。幼馴染の愛情表現ってやつよ」
「まったく…ほら、私達も行きましょう。部長が遅れちゃ駄目でしょ」

朱夏の背中を押して歩き出そうとしたは、長太郎の机に残されたタオルに気付いた。

「あれ…忘れ物?」

はそれを手に取る。
室内で活動の達と違い、コートで汗を流すテニス部ではタオルは必要なのではないだろうか。
氷帝テニス部は練習が厳しいとも聞いたことがある。

「ないと困るよね」
「多分ね」

朱夏が他人事のように答えた。

「いんじゃない。忘れたのに気付いたら取りに来るでしょ。それにチョタはいつも余分にタオル持ってたはずだよ」
「うん…」

でも、今朝は朝練があったはずだ。予備のタオルはそれで使ってしまったという可能性もある。

「仕方ないなぁ」

そう呟いて、は調理実習室とは反対方向へ歩き出した。



猛ダッシュで走りこんできた長太郎は、運良く誰よりも早く部室に到着した。
長太郎の次に部室に現れたのは練習熱心な宍戸である。
他の3年生はつい先程部室に揃ったばかり。まだほとんどの生徒が着替えていない。彼らは椅子に座ってのんびりと談笑していたりパソコンをしていたり運動前の軽い腹ごしらえをしていたりと様々である。
そのため正レギュラー専用の部室で制服姿でないのは、この2人だけである。
ちなみに部長の姿はここにない。生徒会の用事があるとかで少し遅れるという伝言を宍戸が請け負っている。
そうでなければ彼らが呑気に談笑していることはないだろう。
傲岸不遜を絵に描いたような部長だが、テニスに関しては人一倍真面目なので、怒らせたらとんでもない目にあうのはわかっているのだ。

着替えを済ませた長太郎がタオルとラケットを持ってコートに向かおうとしたところ、バッグの中に肝心のタオルが入っていないことに気付いた。

「あれ?」
「何だ、忘れ物か?」

首を傾げる長太郎に、宍戸が問いかけた。

「はい、タオルがないんです」
「ダセエな」
「確かにバッグに入れたんですけど…」

ジャージと一緒にタオルを2枚バッグに入れたのは確かなので、持ってくることを忘れたことはありえない。
朝練の時にタオルを確認しているのだから。
となると、教室に忘れたと考えるほうが妥当だろう。
教室から部室までの距離を考えると取りに戻るのは面倒だが、タオルなしで部活をするのは耐えられない。
ランニングからサーブ練習、各練習メニューをこなすと汗だくになるのだから。
何よりも今日は予備のタオルを持ってきていない。
いつもロッカーに入っている予備のタオルは、昨日雨が降ったときに使ってしまっていたのだ。

「俺、取りに行ってきます」
「おう、すぐ戻れよ」

宍戸にそう断りを入れてロッカーを閉めると、小さく扉をノックする音が響いた。
カチャリ、と扉が開かれる。
ゆっくりと開いたそこから現れた姿に、長太郎は勿論宍戸も唖然とする。

「失礼しま〜す」

様子を伺うように姿を現したのは、だった。
突然の来訪者に、その場にいた全員が固まる。

さん…?」
「あ、鳳君。発見」

さすがに部外者の自分が部室に入るのは躊躇われたのだろう。ちょいちょいと手招きされたので、長太郎は首をかしげつつ近づいた。

「どうしたの?」
「はい、これ。忘れ物」

そう言って差し出されたのは、長太郎が教室に忘れたタオルだった。

「わざわざ持ってきてくれたの?」
「だって汗かくでしょう。タオルないと気持ち悪いかなと思って…迷惑だった?」

小首を傾げて上目遣いで見られて、鳳は慌てて首を振った。

「そんなことないよ。ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」

はにっこりと笑った。
その笑顔に部室内が一瞬どよめいたが、はまったく気付かない。

「じゃあ、私も部活行くから。お邪魔しました」

部室にいる3年生にぺこりと挨拶しては出ていった。

「長太郎」

くるりと振り返ると、そこには意味深な顔をした宍戸を除く3年生の姿。

「えっと…何ですか皆さん…」
「彼女か?」
「めっちゃ可愛い子やん」
「鳳もやるねえ」

余程退屈していたのだろう。
格好のからかう相手を見つけた3年生たちは、鳳を逃がさないようにじりじりとにじり寄ってきた。
後ずさってみるものの、背後は扉で簡単に退路は絶たれてしまう。
外に逃げ出すという方法もあるにはあるのだが、そんなことをしたら今後も延々とからかわれることがわかっているので、できればそれは避けたい。
救いを求めるように宍戸を見るが、目が合うと宍戸はさっと視線をそらしてしまう。
宍戸としても救いの手を差し伸べてやりたいと思うが、その代わりに自分が槍玉に上げられるのは御免だった。

「で、どこまで行っとるん?」
「誤解です。ただのクラスメイトです」
「またまたそんなこと行って。お兄さんに教えてみそ?」
「ですから本当なんですってば!」

拳を握り締めて力説する長太郎は嘘をついているようには見えない。

「…マジで?」
「はいっ!」

馬鹿がつくほど正直な長太郎である。その言葉は間違いないのだろう。

「じゃあさ…」

忍足はそう言ってがしっと長太郎の肩を掴んだ。

「彼女、紹介してや」
「はあ?」
「可愛い子には声かけな失礼やろ。小動物みたいでめっさ可愛かったやん彼女。何て名前や?」
さんですけど…」
「ふ〜ん、ちゃんかぁ。名前も可愛いね」
「癒し系だよな」
「是非お近づきになりたいね」
「でも、無理だと思いますよ」
「何でや!?」
「あぁ見えて意外にしっかりしてるんですよ。結構告白とかされてるみたいだけど、全員断ってますから。好きじゃない人とは付き合わないって言ってましたから、いくら先輩達でも厳しいと思いますよ」

長太郎がそう言うと、岳人は不満そうに唇を尖らせた。

「押しに弱そうに見えるのになぁ」
「でも、仲良くなることは可能やろ。見たところ警戒心はまったくなさそうやったからな」
「はぁ、それはまあそうなんですけど…」
「なら、方法はないわけでもないな」
「マジ!?何何?どんな方法!?」

忍足はにやりと笑った。
その笑顔に何となく嫌な予感を感じたが当然先輩に逆らえるはずがなかった。
長太郎は曲者の正レギュラーに気に入られてしまったの不幸に同情しつつ、その原因を作ったのは紛れもない自分であることに気付いて、心の中で謝罪した。


  • 05.06.20