は都内の高校に通う女子高生である。
特技は日本史と料理、苦手なものは運動全般。
祖父母と両親、そして兄の6人家族で、特に貧乏でもなければ物凄く裕福ではない、所謂一般階級に位置する家庭で、自身もごく平凡な少女だと本人は信じて疑っていない。
そう、決して誰かから恨みを買うことも、身代金目当ての誘拐に遭うようなことも、況してやいきなり知らない世界にトリップしてしまうことなんて、あるはずがないのだ。
だが、現在の状況はが知る日常とはまるでかけ離れていて。
は己の身に一体何が起きたのか、とりあえず考えてみることにした。
いつものように行ってきますと家を出たのが7時25分。
の通う学校は都内でもそこそこ名の知れた進学校だが、校則は非常に緩く制服を改造している生徒も珍しくないどころか、制服すら着てこない生徒だっている。
だがは改造することもなく毎朝きちんと制服に身を包んで家を出る。
そもそもの学校は女子の制服が可愛いことでも有名だ。
ふわりと風に揺れるプリーツスカートは規定丈でも膝よりかなり上で、この丈が足を綺麗に見せてくれるとは思っているし、道行く改造制服から覗く際どい太腿を見る限りの意見は間違っていないだろう。
階段を上がれば下着が丸見えになるほどにわざわざ改造する生徒の気がしれない。
もしかしたら彼女達は露出狂なのかもしれない。
でもやっぱり慎みとか大事だよね、とはひっそりと溜息をつく。
そんな感想を抱きながらもはその日もいつもと同じように家を出た。
自宅から駅までは自転車で5分。
歩いても良いのだが今日は棋院に向かうので帰宅が遅くなるからと、久しぶりに自転車を選択した。
駅に向かうまでのハナミズキの並木道が綺麗だなぁと感動したのがいけなかったのか、ちょっとばかり前方不注意になっていたのは認めよう。
そして狙ったかのようなタイミングで子猫が道路に飛び出してきたのを避けようと、咄嗟にハンドルを右に切ったことまでは覚えている。
突然バランスを崩して、運動神経が良いとは言えないはお約束のように転倒した。
そこは並木道であり駅までの通学路でもあったのだが、同時に河川敷でもあった。
つまり片側は道路で、もう片側は川である。
ついでに言えば結構な下り坂になっていて、自転車から放り出されたは漫画の展開のように川へと続く坂道を転がり落ちた。
自転車に乗っていた加速も加わってしまったせいか、それは結構な速度で。
周囲から悲鳴が聞こえるけれど、硬直しきった自分は悲鳴を上げる余裕すらない。
ゴロゴロゴロ、ポーン。
そんな感じに空を舞ったの視界に飛び込んできたのは、先日までの雨で若干増水した川の水面。
雨水で濁った水は普段の穏やかな流れから想像できない濁流となっていて。
あ、これは死んだなとはどこか他人事のように思った。
それなのに、目が覚めたら純和風の部屋。
そしていつの間にか着替えさせられていたのか、着ていた制服は白い着物に代わっていた。
普通事故を起こしたら病院に運ばれるはずなのに、何故に日本家屋(推測)。
はぐるりと視線を巡らせた。
部屋の広さは6畳くらい。
家財道具が少ないために何とも殺風景だ。
天井がやけに高い。
おそらく3メートルは余裕であるだろう。
そのせいか窓も高い位置にあるらしく、明かりは十分に入ってくるけれど外の様子はわからない。
そして、何故か格子。
襖の類は一切なく、四方を囲むのは壁と格子である。
あれ? 何かこんな部屋、少し前に2時間ドラマでやっていたような気がする。
昭和20年代後半を舞台にした、名探偵シリーズのやつだ。
確か座敷牢とか言っただろうか。
地元の権力者が横恋慕した女性を拉致監禁していたあの部屋に、何だかとっても良く似ているのだけど気のせいだろうか。
「いやいやいやいや! ちょっとそれ洒落にならないって!! すみませーん! 誰かいませんかぁー!!」
世界でも有数の治安を誇る日本ではあるが、それでも大なり小なり犯罪は起きている。
最近でも悪戯目的の男が帰宅途中の女子高生を車で拉致するという事件があったばかりではないか。
まさか自分がそれに巻き込まれたとは思っていないが、病院でもなく自宅でもないのだから警戒して当然だ。
ありえない状況を言えば座敷牢に拉致監禁もあり得ないのだが、悲しいかな現状はまさにそれだった。
大声で人を呼ぶこと数回。
まったく反応がなかったことに軽く凹みながらも、更に大きな声を出そうと息を吸い込んだ。
「す――」
「あぁ、ようやく目が覚めたんだね」
今まさに大声を出そうとした矢先に声を掛けられて、は激しく咳こんだ。
何かもうが声を張り上げようとするのを見計らったのではないかと思う登場に、思わず向けた視線がきつくなったのは仕方ないだろう。
咽るのはつらいのだ。
だが、現れた人物の姿を見て、今度は別の意味で言葉を失った。
白地に紫の服は普段着というには少々個性的すぎる。
何故にマント。そして、何故に仮面。
これが噂に聞くコスプレイヤーかと場違いな感想を抱いたのは、ごく自然な流れだと言いたい。
だって、これが普段着だなんて思う一般人はいない。
それにしても、とは思う。
座敷牢と仮面。何とも嫌な組み合わせである。
そして問題なのは、座敷牢の中にいるのがだという点だ。
ドラマや漫画では大抵中にいる人間がろくな目に遭っていないではないか。
「一晩ほど目を覚まさなかったから打ち所でも悪かったのかと心配したよ。具合はどうだい?」
「あ、はい。えぇと、とりあえず問題なさそうです」
「そうか。よかった」
ふわりと微笑んだ姿は美麗。
そう、たとえ変な恰好をしていようと変な仮面をつけていようと、目の前の男性は美形と称するに相応しい外見をしていた。
どうやら人当たりは悪くないらしい。
そう思ったは、とりあえずこれだけは聞いておかなければいけないと思う最低限の質問を口にしてみた。
訊きたいことは山のようにあるのだが、まず何よりも理解できないことから。
「あの〜、どうして私はこんな座敷牢もどきに閉じ込められてるのでしょう」
今は21世紀である。
何でこんな江戸もしくは戦国時代のような座敷牢に自分が入れられているのかどうしてもわからない。
百歩譲ってどこぞのお金持ちの家には未だに座敷牢がありますと言われても、それでもがそこに入れられている理由にはならないだろう。
だが、目の前の青年から返ってきたのはあっさりというしかない返答で。
「君が不審者だという以外に理由が必要かな。あぁ、ついでにここは間違いなく座敷牢だから、もどきという言葉は相応しくないかな」
とりあえず絶句する以外に何かできただろうか。
◇◆◇ ◇◆◇
青年の名前は竹中半兵衛と言った。
たけなかはんべえ。
日本史を得意とするが知らないわけがない。
知らぬ顔の半兵衛。
豊臣秀吉が三顧の礼で迎えたという軍師。
仕えている城を僅か十数人で奪ったことのある、恐るべき知略の持ち主である。
その天才軍師がSMの女王様よろしく紫の仮面をつけてるとか、そんな馬鹿な。
「ななな、何で私が不審者なんですか?! どこからどう見ても一般庶民じゃないですか!」
「突然光の中から転がり出てきた少女のどこをどう見たら一般庶民だと思えるか教えてほしいよ。まだ天女や物の怪とでも言ってくれた方が信憑性がある」
「じゃあ天女でも物の怪でも何でもいいですから、出してくださいよ!」
「天女ならなおさら手放すわけにはいかないし、物の怪ならそれはそれで興味深いから却下だね」
何たる誘導尋問。つまりは解放するつもりはないということではないか。
「まぁ間諜や刺客といった線は消えているけどね。見るからに筋力のない身体だ。傷一つない身体といい、深窓の姫君だと言われても納得してしまうよ」
「傷一つないって…見たんですか?! 見たんですね!!」
言われた台詞にぎょっとなるのは年頃の娘としては当然だろう。
問い詰めるようにじろりと睨んだが、相手は天才軍師。
何が悪いと言わんばかりの視線を向けられてしまった。
「不審人物の身体検査は常識だろう」
「そういう問題じゃありません! お嫁入り前の女の子に何てことしてくれやがるんですか!」
「そうか。それは申し訳ないことをしたね。では男らしく責任を取ろう。幸い僕には正室も側室もいないからね。好きな方を選ぶといい」
「だーかーらー! そういう問題じゃないって言ってるんです! 人の意識がない間に何してるんだってんですよ!」
「あぁ、合意の上がいいってことだね。だったら今夜にでも…」
「謹んでお断り申し上げます!!」
何だか激しく身の危険を感じる台詞には思わず両手で自分の身体を抱きしめた。
とりあえずこの檻のおかげで半兵衛に手を出されることはない。座敷牢万歳。
だが忘れてはいけない。
ここは半兵衛の屋敷であり、当然のことながら座敷牢の鍵は半兵衛が持っている。
半兵衛がその気になればなどあっというまに美味しく頂かれてしまうのだが、とりあえず現状にいっぱいいっぱいのは気づいていないようである。知らぬが花とはこのことか。
その後
「座敷牢が気に入ったならずっとここにいてもいいんだよ」
「冗談じゃありませんよ、私は家に帰るんだから!」
「我儘も大概にしないと可愛くないよ」
「可愛いとか可愛くないとかじゃなくて、当然の権利を主張してるだけですよね、私!!」
などという遣り取りを行った結果、不審人物だけど無害、でも何となく厄介そうだから屋敷内から出たらだめだよという、甘いんだか甘くないんだかよくわからない言葉と共に半兵衛の屋敷に部屋を与えられたは、主に半兵衛の暇つぶしの相手として日々を過ごすことになるのだが、本人の知らない所で半兵衛の側室として名が通ってしまうのは勿論半兵衛の策略である。
それが恋愛感情ではなく、「何となく面白そうだったから」という理由だと知ったは、一度でいいからこの男に常識というものを教えてくれと秀吉に直談判することになるのだが、それはまた別の話。
- 12.11.15