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片恋


石田三成という人物は評するのに困難な人物だった。
少なくとも清正にとっては。
幼い頃――それこそ自分が虎之助、三成が佐吉と呼ばれていた頃から同じ屋根の下で暮らしていたのだが、彼のことはほとんど知らないと言ってよかった。
少なくとも彼の内面を清正は知らない。
背は清正よりは低いが、男としてはまぁ平均的だろう。
たまたま周囲にいる人物が男女問わず大柄な者が多いために小柄に見えるが、身長そのものは決して低くはない。
だが体躯の華奢さが彼をより小柄に見せていた。
二の腕は清正の半分ほどの細さしかあらず、武働きが得意ではない彼の指は剣胼胝の出来ている自分の指とは比べ物にならないほど白く細い。
顔立ちは百人中百人が美形と称するほどに整っているが男性的というよりは中性的で、肌理の細かい白い肌は傷一つ染み一つなく、薄く化粧をさせて打掛でも羽織らせたら驚くほどの美姫になるだろう。
頭脳は明晰。理詰めで彼と討論できる人物など、竹中半兵衛くらいではないだろうか。黒田官兵衛なども対等に対話できそうだが、官兵衛の犠牲を問わない戦略を三成はあまり好まないために2人の対談は望めそうにない。
性格は清廉潔白を絵に描いたような人物で、世の汚濁には一切染まっていない崇高な姿は羨望を集めるとともに小狡く生きて行こうと思う人物にとってはこれ以上ないほど目障りな存在だろう。
事実出世欲や我欲にまみれた人物に対する三成の評価は限りなく低い。
そんな三成の下に集うのは、やはり同じ志を掲げる人物ばかりで、義を重んじる直江兼続や真田幸村とは殊更仲が良い。
金や権力には見向きもせず、秀吉から与えられた佐和山の城には華美な装飾などは一切施さず、蓄財にも無関心で領地の開拓などにそれらのほとんどを費やしているらしい。
お陰で三成が治める近江佐和山領は豊臣政権下のどの領地よりも治安が良く、領民からの支持も高い。
不正を嫌い忠義を貫き己の正義のためにまっすぐ前だけを見て生きてきた三成だったが、唯一の欠点は他人も己と同じ生き方が出来ると思っていたことにある。
三成の世界はいつでも綺麗で正しくて、誰かが誰かを虐げるといったことはありえないのだ。
世の汚濁に染まった人間にとって、それは決して受け入れられないものだ。
だからこそ味方も多かったが敵も多かった。
人間は弱い。弱いからこそ迷う。
迷うから一人では生きていけない。
三成はそれが理解できなかったのだ。

ねねは彼を「生き辛い子」と呼んだ。
正則は「頭でっかち」と。

では、清正は何と彼を称したら良いのだろう。

(不器用…いや、純粋すぎたんだ、あいつは)

子供が持つ不純物なしの精神。
三成はそれを持ったまま大人になってしまったのだ。
少しは闇に染まれば楽になったものを、己自身がそれを頑なに拒み続けた。
だから…。

「常世はお前が生きるには汚すぎたんだよ…」

清正の目には泥の中でも白く清廉に咲き誇る蓮の花のような人物だった。
泥にまみれあがきながら、それでも己の色は決して衰えることなく、鮮やかに咲いている白い花。
その証拠に、首だけとなっても三成の何と気高きことか。
恨み言も言わず、無様に逃げることもせず、ただ勝者の言うままに屈辱の死を賜ったはずの三成。
それなのに、その表情は穏やかで、首を斬られる直前には目を伏せたまま艶やかな笑みを浮かべていた。
最期に彼の脳裏に浮かんだのは、先の戦で散ってしまった同僚の姿だろうか。
それとも、義父である秀吉の下で家族幸せに暮らしていた懐かしい記憶だろうか。
もしくは、遠く離れた地で三成と時を同じくして徳川に叛旗を翻した、あの2人の友の姿であろうか。
そんなことを考えて、清正は己の愚かな考えに気付いた。
志を同じくして戦った彼の同胞と、恩顧を受けておきながら敵に与した己を、彼の心理の中で同列に並べようとしたことがそもそもの間違いだ。
現に、彼は最期の最期まで清正を見ようとしなかったではないか。
正則の罵声にも耳を貸さず、衆人環視の中城門に晒されるという恥辱に眉一つ動かすことなく、三成はいつもと同じく凛とした佇まいを崩すことがなかった。
徳川の権力のお膝元でありながら、その姿は多くの者を驚嘆させた。
敗軍の将の首など、本来ならば好奇の目に晒されるのが常だというのに、今三成を囲む農民の目には涙が浮かんでいる。
手を合わせて拝む者すらいる。
それは決して農民ばかりではなく、ひっそりと隠れるように彼を拝む兵士の姿も少なくない。
三成の首を斬った役人は、後悔の念に苛まれて行方をくらましたと聞く。
役目に忠実である首切り役人が、たった一人の男を処刑したという事実に耐えられなくなったのだ。
だが、彼だけではない。
三成を処刑場に送った人物の何人かも職を辞した。
喉の渇きを訴えた三成に柿を与えようとした男は、その遺骸に取りすがるようにして号泣していた。
佐和山領から来たという農民は、刑場へと進む籠の中にいる三成に「死なないでください」と懇願していた。
警備の兵に咎められても杖で殴られても彼らは泣きながら一行の後を追った。
誰もが彼に魅せられていく。
そして、それなのに彼は全てを置いて逝ってしまったのだ。
何の未練もないかのように。

「まるで片恋だ」

誰も彼も、そして清正自身も。
最期まで気付かなかった自分達は、永遠に敵わない片恋に身を焦がして生きていく道しか残されていないのだ。



「…なぁ、あの時話していれば、何か変わったのか」

目を閉じれば昨日のことのように思い出されるあの決別の日。
三成の制止を振り切って城を後にしたが、もし仮にあの時三成の言葉を聞き入れて城に留まり続けていたら、この未来は変わったのだろうか。
圧倒的な物量を誇る徳川に、衰退していく一方の豊臣が勝利することができたのだろうか。
少なくとも三成の頭の中では勝算があったのだろう。
清正には見えなかった。
三成のように千里先を見通せるほどの頭脳なんて持っていなかったから。
自分の家を――豊臣の家を守るために徳川に加勢した。
それが間違っているとは思わない。
だが――。

「答えろよ。三成…」

清正は三成へと問いかける。
後悔が一滴、眦からこぼれた。


  • 10.09.01